未来の「痛み」よりも現在の「快楽」、国家の滅び方

● 偽右の超花畑が生む、日本政治の劣化現象

 最近、「高市発言で中国が台湾侵略できなくなった」と豪語する書き込みを見た。まずここが致命的な妄想である。もし日本の総理の一言で中国人民解放軍の作戦計画が止まるというなら、世界はとっくに平和になっている。

 そんな単純仕様の国際政治であれば、中東もウクライナも台湾海峡もすでに安定しているはずだ。だが現実はそうではない。中国の軍事判断は、米中の戦略バランス、米国の介入可能性、国際社会の制裁耐性、中国国内の経済と政権維持、この四つで決まる。日本の総理の発言はそこに一ミリも影響を与えない。それどころか、むやみに踏み越えれば中国の大義名分を強める副作用すらある。抑止力どころか逆噴射だ。

 ところがコメント欄には、これを真に受けて興奮する「偽右の超花畑」が湧き出す。中国は戦狼外交、日本は朝貢外交、アメリカの属国、昔はアメリカのビルを買い占めて誇らしかった、と涙ながらに「昔の栄光」を語る者までいる。もはや歴史を語っているのか、ただのアル中の昔話なのか判別がつかない。さらには「通訳の方に頭を向けただけやん」という、画像一枚で外交儀礼を理解した気になる素朴派も混じる。この手の「画像診断政治学」はネットの風物詩となったが、見ていて恥ずかしくなるレベルだ。

 中には、高市の行動パターンを冷笑的に解説する投稿もあり、なるほど筋は通っているのだが、それですら「被害者ムーブ」「愛想尽かされる」という浅い心理劇として扱われる。問題の本質は日本外交の構造的な脆弱性にもかかわらず、論点が全部「高市というキャラの感情ドラマ」に落ちてしまう。

 官僚が中国に頭を下げに行くという事実を、政権の構造歪みとして把握するのではなく、「安倍の奥さんのときも」と私怨の延長線で読む。これでは国家運営の話にならない。

 極めつけは「中国は礼儀がない低開発国」「中共は無能の集団」「チャイナ抜きでも困らない国作りを」など、勇ましいが中身が空っぽの掛け声だ。日本が中国抜きで困らない国家を作るには二十年規模の構造改革が必要で、精神論では一粒の部品も作れない。こうした偽右の声は、実態を直視する苦痛から逃げるための麻薬のようなものである。そしてこの麻薬を多くの国民が吸う社会では、政治家は論理ではなく「気持ちよさ」を提供する方向に走り、国家は確実に衰退する。

 最も滑稽なのは、こうした偽右の花畑が「強い日本」を夢見れば夢見るほど、中国が一番喜ぶという逆説だ。中国は挑発に乗って騒ぎ立てる日本国内の幼稚な反応を楽しみながら、「勝手に騒いで、勝手に分断して、勝手に消耗する国」を静観している。外交とは国家間の力学であって、SNSの勇ましいコメントでは動かない。この現実を理解できない層が右であれ左であれ、花畑であることに違いはない。

 偽右の「超花畑」。これは左派の理想郷を軽く超えた別次元の幻想空間だ。そしてその幻想が、日本政治の劣化に拍車をかけている。国家が沈むとき、人々は現実を見なくなる。日本のコメント欄が教えてくれるのは、この単純で残酷な真理である。

● B層政治の悲喜劇──小泉は利用した、高市は利用された

 B層大衆は一万年経っても変わらない。歴代の内閣支持率でトップツーを叩き出した小泉(一位)と高市(二位)(時事通信が11月7~10日に実施した世論調査結果)、この二人の共通点は、政策の巧拙でも理念の深さでもなく、ただ一つ「B層大衆を最大限に刺激した」という点に尽きる。

 政治を理解せず、気分と怒りだけで動くこの層こそ、日本政治の「大票塊」であり、また「強爆弾」でもある。

 小泉純一郎は、このB層を徹底的に研究し、ワンフレーズ政治で操り、B層を「乗せた」。「敵をぶっ壊す!」だけで大衆の脳内快楽スイッチを押し込み、郵政の本質を理解しない群衆を熱狂させた。彼はB層を利用した側であり、計算の上で大衆を踊らせた稀有な政治家だった。これが72.8%という歴代1位の発足時支持率の正体だ。

 一方、高市は真逆だ。彼女はB層に「乗せられた」側である。彼女は刺激的な言葉を投下した瞬間、B層は一斉に歓喜し、支持率63.8%という歴代2位の数字を叩き出した。しかしその拍手は、政治的支持ではなく、「強気に見える政治家を消費する衝動」にすぎない。高市はその歓声を本気で受け止め、外交・安全保障・国際法という現実レイヤーを離脱してしまった。

 小泉がB層を飼い慣らしたのに対し、高市はB層に引きずられた。

 B層は応援しているつもりだが、実際には政治家を過激化させ、自爆地点まで追い込む政治家破壊機だ。支持しているのではない。感情の餌として消費しているだけであり、破壊の自覚すらない。だから被害は常に最大化する。

 こうして日本の政治家は、外敵ではなく味方を名乗る大衆によって倒れていく。歴代支持率トップツーが揃って証明した真実はただ一つである。日本の政治を最も危険に晒すのは「敵国」ではなく、政治を理解しないまま参加し続けるB層大衆そのものだ。

● 真理なき議論とゆるぎない事実

 日中共同声明をどう解釈すべきか
 日本は台湾の中国帰属を認めているかどうか
 高市首相の存立危機事態発言は妥当かどうか
 発言は中国への内政干渉に当たるかどうか
 日本が毅然とすべきかどうか
 台湾有事が日本有事なのか
 集団的自衛権を行使すべきかどうか…

 立場が違えば、それぞれ筋の通った結論がいくらでも出てしまい、真理論争はいつまでも収束しない。しかし、真理論争が永遠に続いても、現実には事実が淡々と積み上がる――。

 中国が観光客を止めたという事実
 水産物を止めたという事実
 高市政権が高支持率を維持しているという事実。

 この三つはすでに動かしようのない事実だ。同じ事実でも意味づけは対極に分かれる。観光客が減って静かになって好都合と感じる都市住民もいれば、観光・水産業は悲鳴をあげることすら許されず沈黙を飲まされる。高い支持率が圧力となり、被害の声は政治的に封殺される。要するに、公に出た事実もあれば、公に出にくい事実もあるということだ。

● 現在の「快感」という麻薬

 ここから本当の問題が始まる。制裁は段階的に広がり、影響は必ず重層的に深まる。しかし日本社会は、未来の痛みよりも、目の前の快感を優先する本性をもっている。これは道徳の欠如ではなく、人間心理の構造そのものだ。

 政権側では、支持率が跳ね上がる快感、強硬姿勢で拍手を浴びる快感。
 大衆側では、中国を言葉で殴ってスカッとする快感、敵を作って団結している気分に浸る快感。

 こうした即効性のある刺激は、リスク感覚を鈍らせ、判断を麻痺させる。未来の損失は抽象的で、痛みは遠く、誰かが何とかするだろうと思い込む。一方、現在の快感は即時的で中毒性が高く、国民も指導者もそこから抜けられなくなる。こうして国家は、自ら破滅へ向かう回路を踏みしめていく。

 中国はこの構造を完璧に理解している。観光、水産、文化イベント。この程度では日本社会全体は傷まない。都会は平常運転で、偽右は勇ましい言葉に酔いしれ、政治家は支持率上昇という甘い麻薬を吸い続ける。そして北京は、その日本社会の反応を観察しながら、次の制裁カードを静かに取り出す。制裁とは怒りではなく計算であり、相手の弱点を探るための道具である。

● 大衆・政治家・メディアの三位一体構造

 それより深刻なのは、日本側に「臨界点を事前に把握しよう」という意志が欠如していることだ。未来の危険を語る者は弱腰と侮蔑され、経済損失の予測を示す者は売国と罵倒され、冷静な分析は排除される。

 太平洋戦争も、ウクライナ戦争も、この構造で間違った。未来の危機を指摘した者が権力から追い落とされ、短期的快感を提供する指導者が国を破滅へ導くという、実に単純で、そして繰り返し現れる史的メカニズムである。

 歴史の教訓は残酷なほど明瞭だ。事後的に結果を知っていれば、誰も戦争には踏み込まなかったり、戦争を早期終結させただろう。しかし人間は未来の痛みから学べず、現在の興奮に溺れるようにできている。未来の損失を語る指導者は疎まれ、短期の快感を与える指導者ほど持ち上げられる。

 さらに深刻なのは、指導者だけが現在の快感に溺れているのではなく、メディアもまたその快感を商品として増幅している点である。強硬発言は視聴率になり、煽りはクリック数になり、敵意と恐怖は広告収入に転化される。未来の危険を冷静に報じても儲からないが、短期的な怒りや興奮を煽れば確実に数字が取れる。メディアは構造的に、未来の痛みを軽視し、現在の快感を最大化する方向へと自らを駆動させる仕組みになっている。こうして国民は快感の供給源によってさらに盲目化し、国家全体が破滅への勾配を滑り落ちていく。

 結果、痛みが現実化して臨界点を超えたとき、ようやく国家は方向を変える。しかしその時には選択肢の大半は消えている。

● 臨界点の到来

 今の日本は、この危険な境界線のすぐ手前にいる。観光停止も、水産停止も、まだ序章にすぎない。もし部材、中間財、機械部品が止まれば、日本経済の血流は瞬時に乱れ、雇用も収益も株価も根元から揺らぐ。その段階になって初めて国民は痛みを感じ、国家は自らの愚かさに気づくだろう。しかし、その気づきはほぼ間違いなく遅すぎる。

 そして最後に、もっとも攻撃的で、もっとも哲学的な真実を述べる――。

 国家を壊すのは敵ではなく、未来を見ようとしない国民自身である。
 歴史を繰り返すのは、指導者の無能ではなく、人間本性の不変である。
 未来の痛みより現在の快感を選ぶ限り、日本は必ず同じ滅びの道筋を歩む。
 それは運命ではなく、選択である。そして、いま選ばれているのは滅びの側だ。

● 偽右・偽左を同時に批判

 最後に補足しておこう。私は、偽右・偽左を同時に批判している。私が批判している対象は「思想そのもの」ではなく、思考停止と感情商売だからだ。偽右も偽左も、左右の看板は違っても脳の動きが同じである。

 まず、偽右も偽左も事実ではなく感情で反応する。偽右は愛国を装い、偽左は平和を装うが、中身は同じ「扇動の快感」。相手を殴りたいだけで、論理もデータもない。単なる情緒発露。

 次に、どちらも反証を受け付けない閉じた世界を作る。偽右は自分に都合のいいニュースだけ拾い、偽左も自分の恐怖物語だけ信じる。左右の看板が違うだけで、知的構造は完全に同じ。「考える」ではなく「信じる」で動く群衆心理だ。

 さらに、彼らは社会を壊す方向にしか作用しない。偽右は敵を刺激し、偽左は不安を煽る。どちらも国家の合理的意思決定を妨害し、外交を混乱させ、政治の劣化を加速させる。どちらも害国者である。

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