会社を変えること社会を変えること、そして文句を言うことと自分を変えること

 会社が悪い。と不満をいう人には三つの選択肢がある――。会社(上司)を変えること、自分を変えること、どっちも変えずに文句を言い続けること。

 社会が悪い。と不満をいう人には三つの選択肢がある――。社会を変えること、自分を変えること、どっちも変えずに文句を言い続けること。

 昔、ある会社の上司が会社を変えられないことを教えてくれた。後、社会が社会を変えられないことを教えてくれた。私は自分を変えるよりほかないことを悟った。悔しいから、文句を言いながら、自分を変えることに取りかかった。

 いまは会社を変えることが必要なくなった。社会を変えることを諦めた。文句を言うことが仕事になった。自分を変えることが習慣になった。気がつけば、選択肢が減るのが良いことであることが分かった。

 先日、ある研修会で言ったこと。

コメント: 会社を変えること社会を変えること、そして文句を言うことと自分を変えること

  1. 追加投稿になります。

    1%の富裕層、世界の富の半分を保有へ
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-35059203-cnn-int

    「今回の推計によると、1%の富裕層が握る資産が世界の富に占める割合は、2009年の44%から、14年は48%に増加した。このままのペースが続けば来年までには50%を超す見通し。
    残る52%の富についても、人口の5分の1の比較的豊かな層が46%を握っていて、その他の層が握る割合は世界全体の資産のわずか5.5%にとどまる。」

    立花先生の持論に基づくと、「この傾向はどうしようもないので、変えるのは諦めましょう。見て見ぬふりをして、頑張って1%もしくは46%の中に入りましょう」ということになります。これで良いのでしょうか?さらに、この「良い」はいつまで続くのでしょうか。1%の富裕層が80%の冨を、20%の比較的豊かな層が10%の冨を占有するようになっても続くのでしょうか?

    1. 水上さん、このニュースは昨日見ました。興味のない話題でしたので、取り上げていません。私自身の価値観では、「頑張って1%に入りたい」とは全く考えていません。幸福と金銭が正比例であれば、がんばるかもしれませんが・・・。もちろん、頑張って1%に入りたい人の価値観も否定しません。私の持論は、格差の存在は客観的事実だということです。ただ貧富の格差の「合理的水準」はどのくらいかという研究していないので、無責任なコメントはできません。民主主義社会であれば、貧富の格差が許容範囲を超えれば、政党交代、政策変更もあってしかるべきでしょう。それができなければ、暴動になるかもしれません。それこそ、社会を変えることですよね。

  2. 立花先生が、「会社を変えられなかったこと。社会を変えられなかったこと」は、立花先生の価値を下げるものではありません。試みて失敗することは誰の恥でもなく、誇るべきことだからです。そして、立花先生は別の場所で自分の価値を証明することに成功なさった。まぎれもなく立派な方です。

    問題は、自分が「会社を変えられなかった。社会を変えられなかった。」ことから、それを結論としてしまっていることではないでしょうか。「会社を変えられた人」、「社会を変えられた人」は世の中にたくさんいます。それは困難で稀であるかもしれませんが、不可能ではありません。

    もう一つの問題は、立花先生が、「会社を変えること」、「社会を変えること」を不可能だという理由で、価値なき事業だと見なしてしまっていることでしょう。これではまるで、サラリーマン親父の言い草です。いかなる事業や目標であれ、困難だとか不可能だとかの理由で、価値を判断することほど悲しいことはありません。「会社を変えること」、「社会を変えること」であれ、それはどのように変えようとしているのかについて、その価値を判断されるべきではないでしょうか。

    1. 水上さん、まさにおっしゃるところは人の価値観でしょうね。水上さんのように、たとえ微々たる可能性でも会社や社会を変えようと志される価値観は素晴らしいと思います。価値観ですから、「べき論」は自分や同一価値観の人に対しあってしかるべき、各人それぞれの「べき論」があっていいと思います。

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