立花流の「新常態論」、状態の常態化はできるのか

 中国は中国経済成長の鈍化を、「新常態」と名付けた。だが、「新常態」は、決して事実の本質を述べるものではなく、当事者自身の一種の願望の発露に過ぎない。――「そうであってほしい、そうなってほしい」

 ある種の「新状態」(注意:状態)を「新常態」に転化したい。このような願望があって、それをあたかも既成事実のように先行定義しているわけだ。なぜそうするかというと、その「新状態」がいかに「非常態(非常事態)」であるかを物語っていることにほかならない。

 愛する人をなくした。その事実は一種の「状態」であるが、その「状態」を、「常態」として受け入れるまでには相当時間がかかる。なぜならば、その「状態」はネガティブな「状態」だからである。では、1億円の宝くじが当ったらどうだ。会社で昇進昇格になったらどうだ。これも一種の新たな「状態」ではあるが、ただその「状態」の「常態化」はあっという間である。無上の歓喜は束の間、しばらくしてすぐにその「新常態」に慣れ、さらに欲が膨らみ次なる「新状態」や「新常態」を延々と求めていくのである。

 さて、中国経済成長の鈍化は、「ネガティブ状態」か「ポジティブ状態」か自明の理だ。ネガティブな「状態」の「常態化」に成功した場合、それは大変良いことだが、すべてがそうなるとは限らない。成長の鈍化とは、パイが大きくならないことを意味する。であれば、配分ルールの変更が必至で、既得利益をめぐって熾烈な戦いが繰り広げられる。つまりは経済に、より多くの政治が混入され、情況がさらに複雑化することだ。

 このように、中国経済を考察するにあたって、多様な要素や目線を取り入れなければならない。簡単な作業ではない。いずれにしても「新状態」が「新常態」として定着して安定するかどうか、歴史の検証が必要であろう。

コメント: 立花流の「新常態論」、状態の常態化はできるのか

  1. 新常態。面白いですね。

    ニュースによると、・・・ は先延ばしになりそうですね。

    1. 牧村さん、具体論はやめましょうか(笑)。せっかくのコメント、一部削除させていただきました。大変申し訳ありませんでした。

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