「助け合い」とは何か?「Give & Take」論から見た和僑会

<前回>

 和僑関連の二つ目のテーマに入る――「助け合い」。

 「助け合い」は二つの意味を内包する――「助けること」と「助けられること」。複数の当事者において相対(あいたい)的にこの二つの行動が発生することを意味する。「助けられること」は「余計なお世話」を除いて、基本的に誰もが受け入れたいものだ。問題は「助けること」だ。

 宗教的、道義的な「助けること」は高尚な行動であり、ときには無私で献身的である。自分が犠牲になっても他人を助けることをいう。これは特例としてここでは想定対象外とする。では、より一般論的な「助けること」とは何か。

 「助けること」は、「助ける動機」と「助ける力」という二つの要素を内包する。

 まずは、動機付け。それは行動の過程や結果に何らかのインセンティブへの期待が持たれるということである。金銭的あるいは非金銭的なインセンティブ。たとえ宗教や倫理に基づいた「助ける」行為であっても、教義や倫理の規範を実践したことから持たされる満足感もインセンティブの一形態といえよう。

 その辺、明確な答えがすでに用意されている。「助け合い」の相対(あいたい)性が「助けること」へのインセンティブである。つまり、人を「助けること」によって、人に「助けられること」というインセンティブ、いわゆる「互恵」関係が生まれることである。

 次には、「助ける力」。いくら「助ける動機」があっても、「助ける力」をもたなければ話にならない。そこでいささか矛盾が生じる場面も見られる――。「助ける力」をもつ人は「助けられること」を必要とするのか。そして、「助けられること」を求める人は人を「助ける力」をもっているのか。換言すると、「互恵」を必要とするのか、「互恵」を提供できるのかということだ。

 和僑会が「助け合い」を掲げるうえで、いろんな課題をクリアする必要がある。一つだけ取り上げると、「助けられること」を必要とせず、「助ける力」をもつ人の入会促進(その人たちのニーズに合ったインセンティブの設定が前提)。実は私の周りにもそういう日本人経営者がたくさんいる。なかに大成功している人もいるが、なかなか表に出ようとしないし、またノウハウの供与をも躊躇ったりする。他方、助けられることを期待していざ会に入ってみると、「誰も助けてくれないじゃないか」と戸惑う。まさにミスマッチ。

 「Give & Take」。これを掲げる組織の中核戦略は、不足する「Give」と過剰な「Take」のミスマッチの解消、「Give」と「Take」のバランスではないかと思う。

 最後に、「助けること」とは何かを考えてみたい。金銭的支援やノウハウの供与、励ます言葉もある意味で精神的なサポートになるだろう。たまに、愚痴をこぼすのもガス抜きでストレス解消になるから、いいことだと思う。ただいつまでも傷の舐め合いでは非建設的になるので避けたいものだ。

 私の周りには、「和僑会」に対する賛否両論がある。私自身も「和僑会」で講演したことがある。ここ数年、会の組織自体が急速に肥大化しているにもかかわらず、その量に正比例した質の進化が見られていない。というのが私個人の率直な感想である。

 「華僑」に因んだ名付け、「華僑に学ぶ」ことを唱えているだけに、うわべの華僑コミュニティーを真似するだけでは浅薄すぎないか。「華僑」の本質とは何か、掘り下げてほしいものだ。いつまでも「中小企業社長の集い」というのも一つの存在ステータスではあるが、世界で華僑を凌駕する和僑社会の構築が目標であれば、現状のままでは戦略不全と言わざるを得ない。

 私自身は、華人の血を引く「華僑」でありながらも、日本人として「和僑」でもある。この二重の身分があっての感想を率直に書かせてもらった。

<続く>

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