「卑怯な輩」の姿を暴く、津川雅彦氏の論に賛同する

 「【戦後70年と私】俳優・津川雅彦氏 故郷を守れない輩を日本人と呼べるのか?」(8月4日付 ZAKZAK)

 左ファッション化の無脳芸能人や論理性なき学者、卑怯な日本人が増殖する中、真実と本質を克明にさらけ出す津川氏は、立派だ。私はご意見の趣旨に賛同する。

 補足させてもらうと、国を守る意思や闘志を求める目線を少し下げ、精神論を避けたところで個益があって当然だ。あるいは戦争になっても戦いたくない、殺すよりも殺されたほうがましだと、これも自らの意思に基づく選択で個人の自由だ。非難されるべきではない。ただ、死にたくない人間を道連れにしてはならない。国というのは人間社会の利益共同体として最大単位である。この現実を忘れられると困る。

 全文転載させてもらう。

——————<以下引用>——————

 55年前、「安保反対」で青春を謳歌(おうか)した連中の成長がない。魅力のない日本人になり下がったのは、成長が止まったから。成長は人格に「期待」と「信頼」という最大の「魅力」を与える。

 ユーロにおんぶに抱っこで、経済に鈍感になったギリシャ人のごとく。米国におんぶに抱っこされ、自国を守るために他国の青年の血は流させても、自分の血は流したくない卑怯(ひきょう)な日本人に成り下がった。故郷(くに)を守れない輩を日本人と呼べるのか?

 東日本大震災の際、東北人は命の危険を目前に「我慢」「忍耐」「礼節」の覚悟を見せ、「誇り高き日本人」と世界を感動させた。

 縄文以来、約1万6000年の間、自然を愛する「文化を育ててきた日本人」は素晴らしいと、世界は富士山を文化遺産に認めた。

 日本ほど自然が豊かな国はない。四季あり、適度な湿気と肥えた土壌、きれいな川と海、緑いっぱいの山、澄んだ空気! 自然を愛するすごさは、「厳しい自然の猛威」を経験し、「平穏」と「危機」を表裏として覚悟できる人格を育てる。

 縄文1万年、平安350、江戸270年、世界一平和な歴史を築いてきた日本人。たった一度戦争に負けただけで腑抜けになった。

 反日的メディアや教育組織の自虐史観に洗脳され、誇りを失った日本人。「私が悪うございました」と戦後70年間謝り続け、いまだに中国と韓国に土下座し、「いい人」を懸命に演じる。マスコミは「そのまま! そのまま! お人好しが素晴らしい」と、GHQ(連合国軍総司令部)に歩調を合わせたごとく扇動する。

 人間すべてに差があるからこそ個人の尊厳は守られる。「平等、平等」とバカのひとつ覚えで、子供の運動会では1等賞の名誉を奪い。学校では貴重な個性がイジメに遭う。経済の格差にもこだわる、いじましさは心の大切さを鈍感にする。

 縄文土器誕生以来、1万6000年! 文化史上、今ほど程度の低い日本人はいない。

 安倍晋三首相は昭和以降、最も実行力と清潔感のある宰相だ。大切に育てなきゃ損するのは国民。なのに、「アンポ」1つで何も見えなくなり、付和雷同して支持率を下げる。いまだ民主党的幼稚な政治を見抜けぬ大衆は、安全保障関連法案で「徴兵制度ができる」「戦争になる」と戦慄(おのの)く。発想が単純過ぎて笑っちゃう。

 戦争の原因は、「民族愛対民族愛」「宗教対宗教」「思想対思想」「富対貧」の対決。中国やロシア、北朝鮮の共産国や、韓国やイスラム国の敵意を「安保」で防御はできても、こんな一面的で、愚鈍なお人好したちで日本は本当に大丈夫なのか?

——————<以上引用>——————

コメント: 「卑怯な輩」の姿を暴く、津川雅彦氏の論に賛同する

  1. 歴史を紐解いて見ると、戦争前には、各々の国に、必ず戦争反対のグループが存在します。そして、その戦争反対のグループを押しつぶし排除するのが、「愛国者」のグループであるというのは実に興味深い話です。

    「愛国者」が戦争反対のグループに「非愛国者」、「卑怯者」のレッテルを張り、抵抗勢力として排除していくのです。そして、国が「愛国者」グループで一色になったとき、戦争スタート。なんとも皮肉な話です。

    しかし、立花先生は常に民主主義の原則を忘れず、抵抗勢力にも発言の場を残していてくださる。その信念に敬服致します。

    1.  レッテル張りも民主主義が機能するなか、左右ともに見られる現象です。問題はレッテルではなく、レッテルを裏付ける論理です。レッテルそれ自体が一種の結論であり、その結論を導き出す論理的なアプローチが重要です。現実主義と理想主義といった異なるアプローチがあり、国益や個益といった異なる着目点もある。そういうことです。

       歴史の話がでてきましたが、チャーチルが「平和主義者が戦争を起こす」と警告している歴史もお忘れなく。すべてのものごとに二面性あるいは多面性があり、立ち位置の相違で見える景色も違ってくる。

  2. 現実的な話として、前線に行くのは若者であって、立花先生のようなお年の方が行くことはありません。その行く可能性が最も低い方が、実際に行く可能性のある方を「卑怯者」呼ばわりする資格がありますか?

    いや、100歩譲って、若い頃でも国を守って体を張って自衛隊に参加なさったことがありますか?

    1000歩譲って、体を張って消防活動にでも参加したことがありますか?

    そもそも、家族以外のものを守るために、命を張ったことがあるんですか?

    戦争になれば、ゲリラ戦となれば相手が小学生でも殺さなければならないこともあるでしょう。赤ん坊だって殺すでしょうね。

    現在よりも、情報の少ない、他国のことを知らない時代ではなく、情報溢れる、世界中のどの国の人にも生活があって、人間として生きているんだと誰もが知っている時代です。<敵>というあいまいな概念ではなく、人間を殺しに行くんだとわかっている時代ですよね。

    敵国に情報を発信するのが困難な時代ではなく、旅行客の行き行き来も莫大な数に昇り、制限されることがあるとはいえ、大半の情報は筒抜けのインターネットがある時代です。

    そんな時代に、「戦いの準備をすることが戦争防止に繋がる一番の方法だ」なんて断言できるんですか?

    確かに第二次世界大戦は、戦争を嫌った諸国がドイツの侵攻を甘く見た故に広がったということができるかもしれません。しかし、第二次世界大戦の原因となった第一次世界大戦は列強が各々軍備を整えて、ささっと終わるはずの戦争が、産業革命による武器の進歩も手伝って過去では考えられないほどの虐殺を生み出したとなっています。つまり、戦争は準備しておけば被害を止められるものではなく、その結果は誰にも予測できません。

    それをお国のためだのなんだのと、他人を「卑怯」呼ばわりして、戦争をあおる方向にもっていくのはどうなんでしょうかね。戦争にならないほうに頭を使っていくのが順序じゃないでしょうか。

    「他人を卑怯呼ばわりすることで、自らを勇者だと証明はできません」。むしろ、それが卑怯だと。

    1.  立ち位置も土俵も思考回路も違います。せっかくの長文ですが、拝読する気になりません。申し訳ない。ご自分の考え方でいいですよ。私もあなたの考え方を変えるつもりはありません。自分が殺されても自責になる戦闘行為がお嫌いだということだけはよく分かりました。それも人生観です、価値観です。ただ国単位の利益共同体なので、異なる考え方もあります。そういうことです。

  3. 文章で読んだ戦争や写真で見た戦争の量がいくら多くても、それが戦争を知っていることになるのかどうか?

    いや、もし、立花先生が外国人部隊にでも参加したことがあるとかなら、納得しますが・・・。そうでないとしたら、上から目線の根拠が全くわかりません。私以上にどれほど戦争を知っていると言えるのでしょうか。そんなに得意げに戦争を語れる体験があるのですか?

    米国などの老兵の精神的な病のニュースなどはご覧になられたことがあると思います。中国のドラマなどでも、抗日戦争は話になりませんが、フランス外国人部隊に参加した中国人が描かれたりしていて、やはり精神的な病にやられ、トラウマから逃れられず、幸せを全て失ってしまいました。

    人を殺し殺されですから、「戦場に行きたいと志せばどんどん行きなさい」などと、威勢だけで言われても困ります。戦争に行って帰ってきたら、息子は殺人者なんですよ。誰が責めなくても、普通の神経をもった人間なら、殺した本人が自分を責めずにはいられなくなるでしょう。理屈だけで物を言っているのは立花先生のほうではありませんか?

    1.  仕掛けられた戦争、いやでも戦場に行くものです。ミサイルのボタンを押したら殺人であとから自責する時間があったら、自身が殺されている。そういうものです。体験も何もそういう問題ではない。現実がそうなった場合、息子とか若者とかそう言ってられないでしょう。50代だろうと60代だろうと年齢の問題ではない、私自身も含めて役に立つものなら役に立てたい。威勢ではない。世の中理想主義だけで平和が訪れるのなら、全世界200以上の国がとっくに全員憲法9条を入れている。

       理屈を言いません。私は現実のリスクを言っている。戦争が怖いやら殺人の自責やら、センチメンタルな寝言を言っている暇があったら、中国の「国防動員法」を勉強してください。全民皆軍、平時有事の一体化。さらに、兵役予備役召集、国防勤務の義務を有しているのは、18歳から60歳までの男性と18歳から55歳までの女性、若者だけなんかじゃありませんよ。一条一条読んでみたらいかがですか。それこそ「震えます」よ。「戦争に備えてこそ戦争に勝つ、戦争に勝ててこそ戦争を回避できる」。習近平主席の訓示も一緒に勉強したらどうでしょうか。

       これが現実です。理屈ではない。

  4. う~ん。まあ、言うだけだったら、誰だって立派なことが言えますからねぇ。

    津川雅彦さんには溺愛なされている娘さんがいるそうですが、娘さんを自衛隊に入れて海外派遣されても文句ないってことでしょうかね。(まあ、もう40才近いようだから、海外派遣はないでしょうけど)。

    「娘が死ぬような危険を冒させるはずがない!」って力強く言いそうな・・・。

    立花先生は有言実行の方だから、息子さんにも「お国のために死んで来い」って言うし、「一番前で戦ってきます!」って答えるようなお子さんにお育てなんでしょうかね。

    1.  舛田さんのような言説、日本中に溢れていますね。まあ、ある程度理解はできますが、まさに津川氏が言っている範疇内でしょう。戦争とは何か、前線とは何か、戦いとは何か、徴兵制とは何か?戦いへの備えとは何か、安保法制とは何か?平和とは何か、国家とは何か、個人とか何か、公益と私益の関係とは何か・・・。ベトナム戦争映画の世界もいいですが、ご興味があったら勉強の裾を広げてみてください。津川氏はわかりませんが、私に息子がいたら?本人がそれこそ卑怯な人間でなければ、戦場に行きたいと志せばどんどん行きなさいと言いますよ。ただ近代戦ですから、戦場に行かせてもらえるようにしっかり勉強しないとね、高度な技術が必要なようです。

Comments are closed.