チェンバレンの責任はどこだ、平和主義が招いた惨禍

 歴史には「もし」がないというが、もし、ナチスドイツが早い段階で全面的な侵略戦争を断念させられたら、世界はどうなっていたのだろう。

 平和主義者である元英国首相のネヴィル・チェンバレンには、大きな責任がある。彼がヒトラーとの間に結んだミュンヘン協定は何だったのか。「集団的自衛権」どころか、チェコの国土をヒトラーに売り渡した。「これ以上の領土要求をしなければ、これで手を打とう」。これがいわゆる「外交努力」の結果であった。

 チェンバレンはこう言ってドイツに出向いた。「私はドイツ首相に会いに行く。私たち二人の会談によって有益な結果が生まれると思われるからだ。常に平和の確保が最優先だ。これが私の政策だ。この訪問が承諾されたのだから、必ず大きな成果が得られると期待している。・・・私の目的はヨーロッパの平和だ。この旅でそれを達成できることだろう」

 チェコをドイツに売り渡したチェンバレンはこう自慢する。「チェコスロバキアの問題は無事に解決した。これは大きな問題の解決に至る序曲にすぎない。全ヨーロッパの平和への序曲だ」

 平和はやってきたのだろうか。結果は、周知の通りだ。

 チェンバレンには大きな責任があると言ったが、彼が平和主義者だったことを批判しているわけではない。英国民が熱烈な平和願望をもっていた。それが世論であり、民意であった。民主主義制度が機能する中、チェンバレンが選んだ道はむしろ、ある意味で必然的な帰結だったのかもしれない。ただ、彼に責任があるとすれば、民意の総和がすなわち個益の総和である以上、政治家としてその総和を単なる額面通りに受け止めたところに大きな責任があったのだろう。

 民主主義は正しい制度だ。ただ、民意の総和集計で選ばれた政治家の使命は、単なる民意の総和集計係りだけではない。一見矛盾であるかのような言説だが、決して矛盾ではない。

 今日の日本やアジアを眺めながら、深く考えさせられる。

コメント: チェンバレンの責任はどこだ、平和主義が招いた惨禍

  1. 全くもって、歴史に「もし」はないですね。安倍晋三首相はチャーチルのファンらしいですが、「和性チャーチル」と呼ばれた吉田茂は、チャーチルではなく、チェンバレンを評価し、「これまで遭遇した世界の政治家で誰を尊敬しているか」の問いに、「ネビル・チェンバレン」と答えていたそうです。

    チェンバレンは単純な平和主義者ではありませんでした。ドイツに対して、ソ連(共産主義)の防壁となることを期待したのです。

    また、チェンバレンの宥和政策が第二次世界大戦の開始を1年遅らせて、英国に準備期間を与えたのです。もし、すぐに開戦となっていたら、英国はすぐに破れてしまったと言われています。

    これは「もし」の話なので、現実に英国に起こったことを述べると、偉大なチャーチルの活躍の結果、英国はどうなったか?

    戦争をヨーローッパの局所的なものから世界大戦へと拡大し、共産主義のスターリンとタッグを組み、さらにアメリカを担ぎ出しました。

    そして、英国は、結果として、戦争には勝利したものの、大英帝国ではなくなり、ポンド体制も失い、ただの島国となってしまいました。このような「現実」の結果からすると、チャーチルは英雄だったかもしれませんが、それが英国のためになったどうかには大いに疑問ですね。

    1.  ご見識の発露についてですが、チャーチルまで引っ張り込んで比較するのは本稿の論旨ではありません。

  2. 歴史には「もし」がない。これ以上でも、これ以下でもないでしょう。包囲網で戦争が止められるなら、なぜ第一次世界大戦は拡大する一方だったのでしょうか?

    チェンバレンがチャーチルだったなら、本当にドイツを止められたのでしょうか?その根拠は?

    近年の研究ではチェンバレンが時間を稼いでなければイギリスはもっと厳しい状態に陥っていただろうというものもあるそうです。

    軍事力に軍事力で対抗することが、最も優れた戦争防止策であるという根拠はどこにあるのでしょうか?むしろそれを問いたいですね。

    1.  歴史学者もいろんな目線があるでしょうし、政治家もいろんな立ち位置がある。近年の研究だから正解というわけでもない。歴史に「もし」がないからです。本稿では何がベスト策だったかという不毛な議論をしていません。ご了承ください。

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