「Love & Peace」、これ以上美しい字句はない。愛も平和も素晴らしい。世の中、精神疾患患者を除いて、愛と平和を嫌う人ってどのくらいいるのだろうか。このブログを見てくれている方の中、愛や平和を嫌う人がいるのだろうか。
問題は、愛と平和が対立したときの優先順位なのだ。
愛する妻や家族が暴漢に襲われ、蹂躙され、もしや殺されるとき、警察を呼ぶ時間もなく、そこで平和を重んじて暴漢に説得し続けるか、平和を破って暴漢と戦うか。
では、家族ではなく、いつも仲良くしている隣人が被害者の立場に置かれたとき、どうするか。さすがに手を出して戦うわけにはいかない。一生懸命警察に電話をかけて助けを呼ぶ。で、警察が駆けつけた時もう隣人が殺されていた。誠に残念だ。やるべきことはやった。
もうちょっと遠くなろう。A国で人権侵害が起きて、無実な人たちが弾圧され、投獄され、銃殺されたとしよう。駆け付けますか、A国にいって抗議活動に参加する。あるいは、B国がC国を侵略し、C国の人民が殺されたり苛められたりした場合、これも友愛のために駆け付けて一緒に戦うか。
このように愛と平和は、常に「&」(and)ではないのだ。「or」のときもある。そして「愛」の定義もカバー範疇も、自己愛から家族愛、隣人愛、民族愛、地球規模の友愛へと広範囲であって、なかなか一括りできない。
だから、「Love & Peace」というのは広大なテーマであり、決して総論では括れないものだ。
では、具体例で。
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愛する妻や家族が暴漢に襲われ、蹂躙され、もしや殺されるとき、警察を呼ぶ時間もなく、そこで平和を重んじて暴漢に説得し続けるか、平和を破って暴漢と戦うか。
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これは文章が微妙ですよね。
(1)家に侵入されてしまっているかどうか?
→すでに平和が破られている状態
(2)路上で睨みつけられているだけ?
→ここで相手に襲い掛かったら、こちらが暴漢?
→にらみつけ返したら、相手に対する挑発行為?
(3)路上で10人の暴漢に囲まれている状態
→人違いかも?
等で、戦って良いかどうかが異なるでしょう。それを一緒くたにしたような文章で、戦って良いかどうかを問うのが間違っている。違いますか?
冷静になりましょう。
軍事拡張の話をしていたでしょう。また論点すり替え、いや論点変更ですか。軍事拡張とは何か、軍拡国家とは何か。国家レベルの軍事議題と個人レベルの納税問題を混同させるような次元の議論には、申し訳ないが、時間を費やして応じるつもりはまったくない。
軍事拡張支持の立花先生ですが、日本では税金を払っていらっしゃらないから痛みも感じないんでしょうね。
レッテル貼りはご自由です。税金を払わないだろう、そういう次元の話をされることもご自由です。海外在住者は税金を払わないので、在外選挙権でもなくした方がいいという主張もあり得るでしょう。どんどん主張されたらよろしい。民主主義社会ですから。
「戦争支持」「軍拡支持」とかそういうレッテルがいやだったら、私はこのブログで「はい、今日も美味しいご飯食べました」、万人から文句を言われないことを書き続けることもできましょう。なんだったら、「社会が悪い」「安倍打倒」でも連呼しましょう。残念ながら、私はそういう人ではない。これからも信条と主張を変えるつもりはまったくありません。何を言われようと、まあ、どうしても私の記事を読んで嫌気が差すなら、読まなくても結構です。もちろんご自由です。