リスクを語るリスクの解消、需要と供給関係の合理性

 問題の解決、リスクの低減。――これはコンサルタントの基本的な仕事だ。どちらが顧客に喜ばれやすいかというと、断然前者である。

 目に見える問題が解消されるという可視的結果は評価につながりやすいからだ。リスク低減や最小化作業とは、危険の事前排除や低減、問題を未然に防ぐことで、結果的に無事という結果になったとしても、もしかすると、何もしなくても問題が起きなかったのではないかという見方もできなくはない。

000一般論的なリスク提示、8月12日付産経新聞

 さらにリスク、リスクとあまり言っていると、「煽っている」というようなレッテルを張られるリスクもある。リスクを語るリスクを解消する方法は、リスクをあまり語らないことと、お金を取ってリスクを語ることである。

 特にブログなどの公開メディアでのリスク語りには、相対的によりリスクがつきまといやすい。ということで、公開メディアでは一般論的なものにとどめておいて、具体的なリスクの抽出と解析、根拠や裏付け・検証、リスクの回避・解除・低減方策などなど、このへんのディテールは、やはり商品として顧客向けにのみ提供することが合理的といえよう。

 9月から、「ERIS中国リスク情報」を顧問企業に、既存契約の無料上乗せサービスとして限定提供を始める。リスク関連のセミナーも並行して行う。すると、コストをかけて目的意識をはっきりもった顧客企業のみを対象とする一方、われわれの情報や提案に価値を認めない企業は、サービスを取らなければそれだけで済む。需要と供給という関係がもっとも自然で合理性をもつ。

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コメント: リスクを語るリスクの解消、需要と供給関係の合理性

  1. 「戦争に備えてこそ、戦争に勝てる。戦争に勝ててこそ、戦争を回避できる」

    でも、この文章(信念?)には、相手の存在を忘れた、自己中心主義に基づく内的な矛盾がありますよね。

    双方が戦争に勝てる状態というのは決して存在しないのですから。

    逆に双方が負けた状態というのは存在するんですね(そうなったら、世界滅亡かな・・・)。

    反論不要なので(もちろん、して頂いてもOKです)、民主主義の証明ということで、コメントに残しておいて頂ければ感謝します。

    1.  民主主義の次元でも何でもない。自己中心の次元でも何でもない。人間のもっとも原初的生存本能です。議論にすら値しません。強くするのは人を負かすためではない。人に苛められないためだ。堂本さんの言説をみて、失礼ですが、日本の戦後教育の罪を改めて実感しました(失礼な表現についてお詫びします。ただ率直な感想です)。

      1. 民主主義の証明というのは、反対意見でも削除せず、きちんと掲載するという立花先生の信念の証明のことです。コメント内容そのものとは関係がありません。

        内容に関してですが、立花先生のおっしゃりようだと、まるで戦前の教育が正しかったように受け取れますね。でも、立花先生も戦前の教育を受けたわけではなく、自分の主張と一致する部分を切り取っているだけではありませんか?

        「強くするのは人を負かすためではない。人に苛められないためだ」の主張はわからないではありませんが、要は、クラスにジャイアンが現れたらお前もジャイアンと同じぐらい強くなれ!そうすれば虐められることはないということですよね。

        そんな風にジャイアンが増えたクラス(世界)が平和ですかね?日本ジャイアンとなって米国ジャイアンが組めば、中国ジャイアンを抑えられると?でも、中国ジャイアンもロシアジャイアンと組むでしょうね。
        本来は相いれなかった中国とロシアが、日本ジャイアンと米国ジャイアンがタッグを組むのを見て、それならばとタッグを組まざる得なくなりますね。そうして戦線が拡大していくわけです。第一次世界大戦、第二次世界大戦もそうやって巨大な戦争となっていったわけです。

        それが立花先生のお望みの結果でしょうか?

        1.  戦後教育が間違ったといえば、戦前教育が正しいという結論になりますか。私はどこでそう言いましたか?このような非論理的な言説こそが、戦後教育の悪果ではないかと言っています。おっしゃる通り、私は戦前の教育に実体験がないからこそ、多くの言及を避け、戦後教育に特定しているわけでしょう。

           最後にこれも繰り返し、繰り返し、繰り返しになりますが、「望みの結果」でも何でもなく「現実」なのだ。あなたは、巨大戦争の可能性を示唆してそれを悪と定義付け、最後に私の望みを聞いてくるのはただ、否定の結論がほしいから、それだけでしょう。だが、残念ながら、私の望みには全く関係のない現実なのです。現実は善悪に関係なく実在し、あるいはそうなっていくものです。現実から誰もが逃げられません。生存本能に基づく確固なる行動ほかありません。空想的な平和願望論者とはまったく議論する基盤もありません。

  2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    口先で「平和」を唱えるだけでは決して「平和」は守れないことを、中国が先行して教えてくれているではないか。
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    この文章の意味は「中国は軍事を強化することで平和が守れることを率先して実践し、見本を見せてくれている」ということですかね?

    それが平和なら、真似したら駄目じゃないですか!なんで、そういう悪いところを真似したがるのか。

    1.  習近平主席曰く「戦争に備えてこそ、戦争に勝てる。戦争に勝ててこそ、戦争を回避できる」。これは、間違いない。国際政治面においてもまったくの正論です。善悪の議論よりも、国家運営の常識であって、どうしても悪というのなら、必要悪です。私の信条、見解は産経新聞の取材記事が報じた通りです。私のブログでも議論無用です。

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