民主主義の一時停止と一部制限、生命権・生存権最優先の法原理

 最近の韓国を見ると、民主主義がハイジャックされているように思えてならない。軍や外交の専門家・関係者、政治家ないし司法まで情緒的な「民意」を前に大声でものすら言えない。これは民主主義による民主主義のハイジャックであり、民主主義による独裁である。

 独裁主義の弊害は民主主義で是正する。では、民主主義の弊害は誰が是正するのか。独裁主義の民主化はよろしいが、民主主義の独裁化には誰がブレーキをかけるのか。

 民主主義の存立基盤は国民国家である。国民国家が崩壊すれば、民主主義も存在し得ない。自明の理だ。憲法もまた然り。命をかけてでも憲法を守るというが、命がなくなれば憲法は存在するのか。

 生命権・生存権というのは全てを優先する。民主主義も憲法も生命権・生存権あってこその話だ。そこで国民国家の存立それ自体が危機に瀕した場合の考え方は、民主主義や憲法を超越しなければならないのである。

 さらに、民主主義そのものが生命権・生存権自体を脅かす状態が出現した場合、民主主義に一時的に制限を加える必要も出てくる。民主主義の一時停止あるいは一部制限である。

 国家の安全保障たる問題には、逐一民意を問う必要がない。民意を問う時間も、民衆に説明する時間もない場合、あるいは民衆が当座理解できない場合もあるからだ。生命権・生存権を保障し、民主主義の存立基盤たる国民国家の安全を保障する独裁的意思決定が結果論的に、民主主義の存続を担保するものであれば、それは紛れもなく必要悪であり、いや絶対善である。

 「緊急避難」や「正当防衛」たるものも、ひとえに生命権・生存権という最優先権の正当性を認める法原理である。

 最後に付け加えておくことがある。独裁者ヒトラー自身も民主主義の所産であったことを忘れるべきではない。ただし、それが他国・他民族への加害型だというのなら、反対に自国・自民族への自害型がいま、韓国だけでなく日本を含めた多くの民主主義国家で生まれようとしているのではないか。

 個人ベースの自害ならまだしも、国家ベースの自害は多くの他人の生命権・生存権を脅かす危険な思想や行動である。他者を引っ張り込む「無理心中」は、ある意味で犯罪とすらなり得る。

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