大阪。都構想が僅差で否決された。僅差といえども、負けは負け。民主主義が凶器と化してもまた民主主義なり。
若い世代の将来を考える人もいれば、バスの高齢者無料パス廃止を嫌がる人もいる。閉塞感脱出を望む人もいれば、変化を不安視する人もいる・・・。その個体最適化の総和が民主主義の結果になる。
個体最適化の総和は、かならずしも全体の最適化になるとは限らない。今回の都構想選挙、30~40代若年層の賛成多数と60代以上高齢者の反対多数が鮮明の対比になった。一部「老人批判」の声もあるようだが、意味があるのか。人間には、自己防衛や私利私欲という本能が内在的に組み込まれている以上、道徳観による外在的批判はもはや無意味であろう。
既得権益の侵害を嫌った政治家たちは、政見の相違を乗り越え共同陣営まで張ったところ、個益抜きに語れるだろうか。政治家だってみんな橋下氏のように「政治家をやめます」といえるような人間ばかりではない。彼たちも個益を追求し、家族を幸せにしてやりたいと考えているだろう。
一票の格差よりも、一票の中身の格差問題が今後もさらに深刻化するだろう。高齢者社会の進行と正比例して高齢者の票数が増え、発言力が強まる。民主主義の多数決原則に基づく民意は、長期利益(若い世代や次世代)よりも短期利益(高齢者)に傾斜する。
それは大阪に限った話ではないはずだ。今回の投票はある意味で日本それ自体の投影といえるのかもしれない。「このままでは危ないと分かっていても・・・」という現時点の論理的な「知」よりも、「来るべきものがやっぱり来た」という将来の体験的な「悟」が民主主義の軌道修正の道なのかもしれない。
一度は滅んで再生するのもよし。それ自体が民主主義の結果となれば、「暴動」や「革命」以外それを覆す方法は皆無だ。
結局のところ、制度はツールに過ぎず、大切なのは志ということではないでしょうか。
共産主義も、北京のホテルで忘れた靴下が深圳まで届けられるという時代がありました。
民主主義は確かに長く素晴らしい時代を築きましたが、同時にもっとも長く惨めな時代を人間にもたらすことになるかもしれません。
制度万能主義では問題は解決しないのでしょう。
篠崎さん、同感です。モラルの問題になるのでしょうね。民主主義の副作用を超克する優越な制度が出現しない限り、ジレンマを抱えつつも民主主義と付き合っていくしかないでしょうね。