カネは妻よりも息子に残せ、中国の家族観と夫婦別姓

 引き続き上海の日本料理店シリーズ。

 今度隣は中国人男性同士の客。所々日本語も入るが、基本的に中国語の対話。先輩後輩か上司部下の関係か分からないが、ほとんど偉い方が一方的に喋る。話題は終始「お金」をめぐって展開し、いよいよ助言が始まる。

 「お金はやはり最終的に息子に残すもんだよ。ほら考えてみろ。血がつながっているし、苗字も同じ。妻というのはあくまでも外部の人間だろう。これだけはしっかり認識しておくべきだよ。いくらあってもやはり息子に金を残す。これに尽きる。分かるよな、君」

 やはり来たか。ここまで明言すると分かりやすい。少し前に日本では夫婦別姓問題が騒がれ、中国は度々引き合いに出され、別姓で女性権利が尊重されているという主張であったが、まったく間違っている。逆なのである。女性を別姓にしておくのは、男系一族のいわゆる正当な財産や権利の継承から排除することを主たる目的としている。それこそが女性権利の侵害ではないか。そういう意味で日本社会の夫婦同姓は家族の一体化という伝統的価値が重んじられ、よほど女性の権利に対する保護になっているのではないだろうか。

 中国のこのような伝統的価値観から解釈すれば、女性は基本的に子供を生み、男系の恒久的継続に対する外在かつ仲介的な存在にすぎない、という考え方も成り立つのではないだろうか。

 女性側も同様な意識をもっている。中国の場合、妻は実家の両親から「あなたが嫁いでも外部者だから、くれぐれも用心しなさい」というふうに訓示される場面もしばしば見られる。

 隣の会話がまだまだ続く。カネ、カネ、カネ・・・。少々耳障りになってきたので、さっさと勘定を済ませて店を出る。

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