権利と利権、中国労働契約法の間違った保護対象

 上海出張はいよいよ終盤。企業の現場から寄せられた人事労務関連の相談、深刻さを増している。ほぼすべての問題の根源は「労働契約法」にある。

 貧しい家庭では、豊かさを目指して家族全員が一致団結して頑張る。そのうち、努力が実り、少しずつ暮らしが良くなり、目標まであと一歩二歩のところまでたどり着く。そこで早くも財産分配で内紛となったり、家族の絆が崩壊していく。

 国家も同じである。少し豊かになると、やたら労働者の権益擁護を持ち出すものだ。悪いことではないが、中国の社会制度も労働市場も先進国と異質であって、そのまま真似してはならないのだった。ところが、「労働契約法」は一気に先進国以上のレベルまで労働者保護の度合いを引き上げてしまった。

 13億の人口、平均教育水準が高くない。国土が広いものの、資源が貧しい。このような国で、輸出加工で多くの外貨を稼ぎ出し、経済成長を遂げたのが奇跡であり、これに寄与したのは、ほかではなく労働集約型産業であった。中国の強みは何と言っても、人口の多さと国民の勤勉さという二点である。

 しかし、早くも中国は労働集約型を見下し、産業構造のアップグレードに強い期待を寄せ、先進国以上の労働者福利政策を打ち出した。これは大きなミスマッチだった。今の中国経済が大変厳しい。本来ならば労働者保護の緩和と企業投資の拡大が急務のはずだが、何せ「労働契約法」で身動きが取れなくなっている。

 残念だ。本当に残念だ。「労働契約法」に守られているのは、一般労働者や労働者すらなれない人たちの権利ではなく、企業内の一部既得利益者の利権なのだ。絶望的だ。

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