がんの話(2)~「早期発見・早期治療」の誤謬、常識を疑え

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 がんについて、「早期発見・早期治療」がもはや世の常識。さて、この常識は果たしてどこにも通用する真理であろうか。

 目的と手段ベースで考えれば分かりやすい。がんを早期発見すれば、早期治療できる。早期治療をすれば、がんの除去によって転移を阻止することができる。がんをきれいに除去し、転移・再発防止できれば、健康な生活ができる。つまり、健康な生活、高品質の生命維持が最終の目的だ。

 だが、実際に「発見」や「治療」が目的になっていないか。これは医療業界の目的(利益獲得)なのかもしれないが、患者、いや広範囲でいえば健全者の最終目的ではないはずだ。ここで、医療業者と患者・健全者の利益相反が生まれる。

 問題の本質は、「早期発見・早期治療」が果たして、一定の品質が伴う生命維持という最終目的(患者の利益)につながるかである。「早期発見・早期治療」がそこまで素晴らしかったら、近時の普及によって、がん患者の生存率が劇的に向上したはずだ。しかし、そのような事実は残念ながら、存在しない。なぜだろう?

 「早期発見・早期治療」には一つ前提、「がんの転移前」という前提が設定されている。だが、転移性がんの転移は、原発巣0.1ミリ程度の時点からすでに始まることが研究で分かったのだ。一般的な検診でがんが見つかるのは、約1センチの大きさになった時であることから、いわゆる転移前の「早期発見」という前提が崩れるのである。「早期」でも何でもないわけだ。

 本物の「早期発見」とは、0.1ミリ以下のがん原発巣を見付けることだ。それは現代医学では、できない。逆に、非転移性がんはいくら「晩期発見」しても転移しない。つまりは――。

 早期発見で早期治療しても治らないがん、と、晩期発見で晩期治療(ないし放置)しても困らないがんが、存在していることだ。

 ここまでくると、「早期発見・早期治療」といういわゆる常識の誤謬が見えてきたわけだが、なぜ、われわれがそれを一般常識としていままで疑おうとしなかったのか。それは、「病気は治療して治す」という、これも誤謬混じりの常識に騙されてきたからである。私は、「早期発見・早期治療」を全般否定するわけではない。真理としての普遍性が存在しないことを強調したい。

 病気は治療して治す――。では、治らない病気には、治療の意味があるか。次回は焦点を「治療」に移して考察してみたい。

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