融和なくとも争い望まず、棲み分けの現実主義的合理性

 「融和」「統合」・・・。響きは良いが、なかなか実現できないことも多い。融和や統合ができないときは、論争が闘争にエスカレートし、下手にすると戦争(冷戦・熱戦)にも発展する。その最悪の結果を避けるためにも「棲み分け」が有効策だ。

 人間は、信条や理念から形成された基本的な世界観や価値観はなかなか変えられない。その基盤の相違性から人間のグループ分けができる。身分制度や階級制度が通用しなくなった現代社会では、別の形の「棲み分け」が可能であろうし、合理性もある。

 IT業界では、「互換性」という言葉があるが、人間社会にも通用する。親和性ある者同士は仲良く付き合えるが、互換性のない人間同士は社交辞令的な上辺の付合いができても、互いにストレスが溜まる一方だ。時間コストの浪費にもなる。そのときはむしろ「棲み分け」が合理的だ。

 離婚も「棲み分け」の一種だが、法的に権利と義務が絡んでいるので、交渉が必要になったり場合によって裁判にもなる。そういった法的関係に縛られない一般社会の付合いなら、ストーカーを除けば基本的に一方的な自主意志で「棲み分け」が可能になる。

 最近、企業内人事制度においても、多様な価値観の持ち主である従業員の「棲み分け」対策に取り組んでいる。

・・・(以下削除、顧客レポート用の「企業内『棲み分け』体制の理論と実務」)