オバマ大統領広島訪問雑想、核より恐ろしい悪魔とは?

 5月28日(土)、北京出張最終日。午後北京市内で打ち合わせアポをこなし、深夜発便でクアラルンプールへ帰還する。

 ニュースを覗き込むと、オバマ大統領の広島訪問一色。歴史的な出来事で誠に喜ばしい。「核なき世界」「核廃絶」といった文字が紙面に踊る。

 よく考えると、核廃絶を訴える当のオバマ大統領率いる米国自体も核保有大国ではないか。いや、それは米国は世界の警察だから、悪の抑制機能として核を持っているわけで、それは正当な核だ。悪の核が世の中から消えれば、世界の警察も自ら核を放棄するだろう、という論理だ。

 問題は、人類がすでに核を作り出す技術をもってしまったことだ。できれば、「核技術廃絶」という根治療法がよい。だが、それはできない。禁断の果実を口にした人類から、消化吸収されたその悪を体内から消去することはできないのだ。

 核の発明それ自体も、科学技術の進歩からもたらされるものである。人類社会はつねに進歩することはない。ニーチェの永劫回帰という概念で考えれば、いかなる進歩からもたらされる副作用は進歩の利益と相殺していることが分かる。

 冷徹な視線は決して心地よいものではないが、理想主義に酔い痴れる余裕を許す世界ではない。「核廃絶」を求める心と姿勢は決して失っていけないが、核は恐らく地球上から消えることはないだろう。さらに、未来の人類が核より恐ろしい悪魔を作り出すのかもしれない。

タグ: