スキャンダル語っても政策語らず、低俗週刊誌の儲け方

 参院選の直前、とっても奇妙な現象――。

 政治家のスキャンダル話になると、誰もが口出しして便乗し、痛罵する。どこかしら引っ張ってくるネタで叩く。「死ね」とまでいかなくとも、「そうだ、そうだ、辞めろ」「おめえのせいで、政治が悪いんだよ。われわれ庶民がいつまでも不幸なんだよ」・・・。

160614-1139-Cameron Highland-農業研究試験場キャメロン高原の花(2016年6月14日撮影)

 しかし、選挙になると、どこの選挙区の誰それ候補者がどのような政策を打ち出しているとか、いままでの公約を果たしてくれたかどうか、言っていることが矛盾じゃないか、美辞麗句ばっかりで具体的な話がないじゃないか・・・。こういう話で盛り上がるどころか、ほとんどそれらしき話題が見ない。フェイスブック上も同じ状況。

 出口に興味があっても、入口に興味がない。これはおかしいだろう。まず入口管理ではないか。

 会社なら、入社試験はおろそかでまともに質問もしないし試験問題も出さない。だが、入社したらああでもないこうでもない、お前はやっぱり悪い社員だから解雇だの、お前のせいで会社はダメになったのではないかと文句を言いまくる。おかしいだろう。無責任ではないか。

 政治に無関心とはいいつつも、政治家のスキャンダルにだけ興味津々。週刊誌はそんなことを見抜いている。こんな良い読者(お客様)を放っておくわけにはいかない。どんどんスキャンダル報道を出し、部数が売れれば儲かるわけだ。

 常々言っていることだが、政治家やメディアを批判する前に、まずわれわれ国民の自己批判しよう。勉強しよう。政治について議論しよう。入口をしっかり管理しよう。そして、投票に行こう。そういうことではないだろうか。

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コメント: スキャンダル語っても政策語らず、低俗週刊誌の儲け方

  1. 週刊誌の低俗さはあきれるばかりです。
    立花先生は、決してあのようなものをお読みになったことはないと思います。
    私は以前読みふけってしまった時期があったのですが、ある時、事実とうわさを混同している自分に気づき、それ以来週刊誌を読むのは止めました。
    立花先生がおっしゃるように国民の全てが政治に真剣に向き合うようになるにはどうしたらいいか。実に重要な課題だと思います。
    立花先生自身は、いつ頃から政治のことを真剣に考えるようになったのでしょうか。ご紹介頂ければ、大勢の人の参考になるとお思います。

    1. 池田さん、私はたまに週刊誌を読みますよ。もちろん、反面教師的に、あるいは低俗コンテンツのマーケティング手法の研究として読んでいます。

       政治のことについて、私自身は政治にまったく興味がありませんでした。中国の法科大学院で法学留学したとき、担当教授から「政治知らずして法を語るな」と厳しく批判されました。当時、中国のことだから、政治も重要かといやいや政治の勉強を始めましたが、そのうち、中国に限らず政治が諸事象を理解・解釈するうえでとっても重要な学問であることが分かりました。

       特に私の経営・人事コンサルティング分野で、まさに「企業内政治」の世界が広がっている風景が見えた日、興奮で震えが止まりませんでした。それがきっかけとなって、以降政治に大きな興味をもち、さらにそれを哲学や宗教と繋げてみると、いろんなメカニズムの解明ができるようになったのです。それがいまの私の仕事に大きく貢献してくれました。もちろん、顧客企業への問題解決の範囲が広がるにつれ、コンサル売上も抜本的に拡大したことも否定しません。

       政治というのは、実はわれわれ日常の暮らしの隅々まで浸透しています。一般の人々はただ意識せずに政治に接しつつも、「政治に興味がない」と口にしているだけです。なので、もう少し意識していけば、社会まで変えることはさすがに難しいかもしれませんが、恐らく自分を変えることができるようになると、私は思います。

      1. 私が週刊誌を読みふけった時期というのは、毎日いわゆる肉体労働に追われるような仕事をしていて、出稼ぎの人たちと仲良く一緒に仕事をして酒を飲んで、笑いあって憂さを晴らす必要があった頃でした。こういう職場では、真面目な話などしても心を通わせることはできず、「女優の○○の○○は超でっかいんだってよ」なんて話をしなければ仲間にはなれないものです。

        貧乏な中でも、学習の時間を作り出し、成功への道を駆け上がる偉人もいますが、毎日12時間以上立ち仕事をする工場労働者や命の危険を冒して働くとび職の人間が家に帰ってたとえ30分でも政治の勉強をすることを期待するのはなかなか現実的ではありません。やるとするなら、まずは経済的に余裕のある生活向上に直接的につながる技術や知識の習得となってしまうことでしょう。

        国民の誰もが、政治に向き合えるような質の高い生活を送れるようになるには、何が社会の前提条件となるのでしょうか。立花先生のお考えをご開示頂ければと思います。

        1. 池田さんご提示の課題は、今の社会の中で恐らく解決できない課題だと思います。

           表現が適切ではないかもしれませんが、いわゆる底辺から這い上がれる人は、一握りです。残りの人たちを助けてくれるのは何かというと、階級制度と宗教なのです。

           階級制度とは、身分の固定で分不相応な望みを当初から持つなという制度です。歴史的に遡れば奴隷制度ではそもそも奴隷は、独立の人格すら持ち得えなかった。イギリスの貴族制度になると、貴族と付き人は対等の人格があっても、下っ端は貴族になれない。その代わりに貴族には下層民の面倒を見る義務があると。ここまでは静態的な社会でした(層の固定と流動性のなさ)。

           けれども、フランス革命あたりから啓蒙主義で人権意識や近代民主主義が発達すると、階級がほとんどの国・社会で消滅します。そこで救済役を引き受けてくれるのが宗教だけになります。キリスト教の弱者正義と天国説がルサンチマン感情のまん延をもたらします。

           だか、日本はどうなったかというと、士農工商や華族の身分制度が消滅し、戦後教育で天皇の宗教的位置付けも変更されてしまいますと、日本人の心の拠り所がすべて失われます。儒教の忠と孝で、中国や韓国と違って日本の場合、家族の概念(孝)よりも会社に対する忠が上位に行ってしまいます。そこでバブルの崩壊、会社神話の破滅。まさに、全ての不幸が日本人のもとにやってきます。

           今後の日本はどんどん格差が進むでしょう。政治に向き合うという理想も夢のまた夢でありましょう。最終的に、人間は諦めるか革命を起こすかの選択を迫られる。それが故にせいぜい個人ベースでの針路決定しか方法はないと思います。あまり良い答えがないのが申し訳ないのですが、個人単位の自力救済、それが唯一の出口だと思います。

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