「社会は財産の不平等なしに成立しない。財産の不平等は宗教なしには成立しない」。ナポレオンの言葉だ。
金持ちが悪だ。悪は来世地獄に落ち、善の貧乏人・弱者は天国へ昇る。神の審判が重要だ。たとえ金持ちが悪だとしても、なぜ貧乏人が善になるのか。悪があっての善、二元論で背反する対極を作り上げるのが、キリスト教の手法である。
宗教に論理性を求めてはいけない。タブーでもある。社会の貧困層や弱者には少なくとも、道徳的優位性を与えなければ、社会のバランスが崩れる。そのバランスを維持するのが宗教の役割である。
終末や来世、神の審判という期待のもとで、貧困層や弱者のルサンチマンは緩和され、心が救済される。その種の「心の救済」をなくして、ルサンチマンや憎悪は現世で即表面化する。
西洋で来世に先送りされる問題は、キリスト教のない日本では、今この現世で解決されなければならない・・・。