進退の自由を放棄したとき、企業奴隷の病的心理

 奴隷とは、身体の自由のない身として、労働を強制され、譲渡・売買されるものである。

 現今の企業には、奴隷が存在しない。なのに、「企業の奴隷」と自称する輩がいる。その正体とは何か。自ら、身体の自由と進退の自由を放棄し、挙げ句の果て思想の自由まで放棄し、自己意思によって「似非奴隷」に成り下がった輩である。

 精神の自由を失った奴隷は、身体の自由を失った奴隷と類比できぬほど下等なものだ。数千年、長い奴隷の歴史に終止符を打つべく、多くの奴隷たちが立ち上がって戦った。彼らがよほど立派だった。

 自称奴隷、似非奴隷、企業をブラック化して、悲劇のヒーローやヒロインを気取り、自己陶酔に浸かるといういかにも病的な心理だろう。

 ブラック企業を叩けというが、ブラック企業を叩き潰したら、ブラック企業でも働きたい人たちが失業する。他人の労働権まではく奪するという自己中心な輩である。

 奴隷社会ではない。働き方はいろいろあってよい。100時間の残業で自殺する人もいれば、200時間でも幸せに働く人だっている。ブラック企業だったら、それを辞めて、ホワイト企業に就職すればよい。この身体の自由、進退の自由を放棄するのが個人の自由だが、他人の働き方の自由を妨害するな。

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