妥協から生まれる平和、弱から生まれる悪

 ニーチェが「アンチクリスト」で次のように述べた。

 「われわれは、『近代』という病気にかかっている。先行きが見えなくて、皆、ただ溜息ばかりついている。たとえば、いま、いくら世の中が平和だといっても、それはやはり姑息な平和だと言わざるを得ない。そのほとんどが、臆病な妥協の産物なのである。『悪』とは、弱さから生じるすべてのものである」

 ニーチェが定めた「近代病」の症状や本質は、今日においても変わっていない。臆病な妥協から姑息な平和が生まれる、というのであれば、「平和」への無原則な讃美そのものが妥協ありきの偽善にほかならない。

 「平和」とは強者の所有物である。能動的に平和を手に入れ、保有できることは強者にしかできない。弱者がたとえ平和を享受できたとしても、それはたまたま強者との利害関係が一致していたり、あるいは強者の寛大な包容力によるものだったりする。弱者は真に平和を所有することは永遠にできないのだ。

 弱の善化は、現代日本社会の歪みである。

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