10年後の労働市場を考え、未来図を描いてみると、職種は大きく3つに分類されるだろう――。
1つ目は、「H職」。Human being、生身の人間でしかできない仕事。
2つ目は、「A職」。AI、人工知能が代替し、機能する仕事。
3つ目は、「V職」。Value maker、価値創出型の仕事。A職であっても、人工知能でできない付加価値を上乗せしたり、あるはA職とH職の交差混合で、人間が独自の付加価値を上乗せしたりする場面がこれに該当する。
ただし、流動的だ。H職もV職も、動態的につねにA職の勢力拡大と浸食の恐れに怯えながら、独自価値の創出に日夜奮闘しなければならない。「安定」という言葉は、死を意味する。
このような「HAV」形態の労働市場は、そう遠くない将来に出現するだろう。過酷な市場だが、いままで機会をもたない者に、大きな機会が訪れる時代でもある。
ここまでいったら、じゃ、立花、お前の人事コンサルの仕事は将来どうなるんだ、という質問は出るだろう。
それは消滅する可能性もかなりあると思う。だって、企業の雇用が縮小し、外注主力に傾いた時点で、人事労務の管理業務も大幅縮小する。
さらに人事労務管理も、人工知能によって取って代わられる可能性も十分ある。すべての関連要素を入力した時点で、AIが最善の人事管理制度をアウトプットする。
私の仕事は、人工知能のアウトプットのあら探しになる。それができなければ、私は餓死する。ただ、私がどんなに苦労して見付けたあらでも、それが入力された時点で、二度と出て来ないようにあらが修正される。
このようないたちごっこが繰り返し、私(人間)の知力や体力の限界に達した時点で、私は無残にクライアントにクビを切られる。
というのが人工知能の時代だ。Welcome to the New Era!
AIが仕事を奪っていくという現実について、疑問があります。
どんどん人間の仕事がなくなっていくと、ほとんどの人が生活保護なり、浮浪者なりになって、さらに人口も減って、消費者そのものも減少していくように見えます。
そうした状況でも、AIという高度な設備を維持していくことは可能なのでしょうか。あるいは、ある程度まで消費者が減っていくと、AI化が割に合わないといった限界点が存在して、それ以上はAI化が進まなくなるということになるのでしょうか。
ほとんどの人が生活保護?あり得ません。原資はないから餓死しますよ。生活保護制度は崩壊します。政策制定もAI任せで、国会議員の大半が失業。AIは、「おいおい、その生活保障はいらねぇ、廃止だ」といったら一巻の終わり。少子化は都合がいいじゃないですか。人工知能に任せて、労働人口が減っても困りません。AI化は進まない?そんな希望的観測でしょう。AIは止まりません。どんどん進みます。
すべてをAIがやるとか、AIのコストが常に人間よりも安いと考えることのほうがむしろ、妄想的発想でしょう。
それにAIに自由に考えさせたら、必ずしも資本主義の原理を選ぶとも限らないでしょう。もちろん、AIに補助的な役割のみを与えるのなら可能ですが、立花先生が想定されているような万能AIとそれでいて、発想の上では立花先生の想定内に動くAIというのは、かなり矛盾があるように思われます。
ロボット三原則や、社会契約論等に基づく人間の最大幸福の追求を前提に行動しろとインプットしたら、AI自身の判断で、自分が働くより人間にやってもらったほうがいいとの結論が出る可能性もあると思いますよ。
それとも、立花先生のおっしゃるAIというのは、あくまで資本主義のもとで投資家のために働くAIのことなのでしょうか?
「立花が想定している万能AI」?私が想定していました?記事に出てきた「H職」「A職」「V職」という分類はまさに「非万能」を前提しているのではないでしょうか。言っていないことを勝手に「そう言った」と言われても苦笑するしかありません。
繰り返していますが、私は占い師でも予測家でもない。仮説をもとにそれぞれの場面においてのサバイバル策を考えるのが私の仕事です。「Aになったら、Bをする」であって、そこで「Aにはならないだろう」という議論になっても、「あ、そうですか、じゃ、Bを考えなくてもいいですよ」でおしまい。
で、おしまいです。