世界を変えられるか、権力への意志とルサンチマンの本質

 人間は誰もが権力(力)への意志をもっている。それは一種の本能である。自己保存を確固たるものにするには、自己拡張が最良の手段となる。

 サラリーマンは誰もが出世を望んでいる。私もそうだった。マネージャーになって専用コーナーブースをもったとき、あの嬉しさはすごかった。

 課長の次は次長、そして部長、本部長、役員、最後に社長の座を目指す。世の中を変えるにはまず権力が必要だからである。

 反権力と叫ぶ人間たちはおそらく権力をもたない人たちであろう。力を持たない弱者が酷い挫折感をもち、そこで権力を悪と解釈する。

 ニーチェがいう。力で世界を変えられない人間は、「解釈」で世界を変えようとする。強者や権力は悪であって、連中はいずれ地獄に落ちる。それがキリスト教の原点、ニーチェが「アンチクリスト」という本の中で克明に指摘し、ルサンチマンの原点、本質をえぐりだした。

 信仰によって救われるのは弱者の魂だけ。ローマ教皇庁というキリスト教の頂点を見るがいい。その歴史は権力の争奪、政治闘争の歴史そのものではないか。権力が悪であれば、教皇や枢機卿をはじめ、キリスト教の権力が真っ先に地獄に落ちないか。

 世の中、弱者が大多数。数の比較では権力が勝てない。故に洗脳とゲームが必要だ。弱者が強者や権力を罵る権利、異なる権力を交替させる権利、それくらいの力は与えておこうというのが民主主義である。

 が、誰が権力者になっても、世界は本質的に変わらない。そういう事実、いや真理を得心すれば、人生はずいぶん楽しくなるものだ。

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