理性的ハノイと感性的ホーチミン、自己矛盾だらけの情緒論

 ハノイ大好き――。以前にも一度書いたことがあるが、ベトナムにかかわる人で「ホーチミン派」と「ハノイ派」に分かれているとすれば、私は断然後者である。

ハノイ・オペラハウス

 理由?そんなのどうでもいいことだ。遡って言ってみれば、90年代にベトナムを初訪問したときの第一印象として、ハノイ好きだった。街にも文脈がある。ハノイには明確な文脈があるものの、ホーチミンは混沌としたカオス的な感覚だった。その混沌とした感覚も一種の魅力ではあるが、個人的には親近感を持てなかった。それだけのことなのかもしれない。

 少し乱暴な言い方だと、ハノイが理性的であるのに対してホーチミンは感性的だった。いや、この言い方自体が非常に非理性的であることは、紛れもなく一種の自己矛盾を示唆するものであろう。まあ、その辺はあまり深く追及しないでほしい。

 というような個人的な嗜好もあって、当初会社をハノイとホーチミンのどっちに置くかという課題に直面した際、検討する余地すらなく、ハノイに即決。かような過去を踏まえて、いまもなお、自分は筋金入りのハノイ派であることを自認し、変節する動機づけも皆無だ。