ジャーナリスト野嶋剛氏来宅、哲学談義で終始する一夜

 昨日、ジャーナリストの野嶋剛氏がクアラルンプールの自宅に来訪され、会食しながら歓談のひと時を過ごした。

 野嶋氏は朝日新聞社シンガポール支局長や台北支局長を歴任し、中国や台湾、アジア関連の報道に携わるベテラン・ジャーナリストである。2年前からフリーになり、現在台湾やアジアで講演・執筆活動を精力的に行っている。氏から来馬の連絡を受けたとき、思わず嬉しくなった。もちろん、初対面。

 会話は哲学からスタート。ジャーナリストとして哲学の勉強に取り組み始めた野嶋氏の姿勢を裏付けるものは何だったのか。特定のメディアに所属するジャーナリストとして会社という前提の下で働くとなれば、いろんな制約を受けるだろうし、日常的な業務としての取材活動はやはり「取材」と「報道」という部分に自己完結しがちだ。

 様々な事象の背後に隠れる「何か」がある。その「何か」の積み上げ、精錬によって抽出されるものは、経験則をさらに超越したところで哲学の原型となる。哲学は何も哲学者だけのものではない。一般人でもこのような作業の繰り返しによって自分なりの哲学基盤を築き上げることが可能だ。

 このような基盤をもって造成される思考回路はぶれることなく、様々な事象をより本質的に解読、あるいは解釈できるようになる。それがジャーナリストなら独自の記事、作家なら独自の著作、芸術家なら独自の作品、経営者なら独自の戦略方針を作り出すための源泉になる。そういう意味で哲学は万学の基礎であって、また実務の基礎でもある。

 野嶋氏はこれからの数か月間に、哲学を勉強されながら、南米やアフリカ、ヨーロッパの旅に出られる。私からいえば、哲学と旅は人生最大の投資だと。その投資は必ず結実するだろう。これもフリーになってから初めてできることだと氏は言っているが、その通りだ。新聞社を辞めてからの野嶋氏は、写真を見ても分かるように、目の輝きが変わってきた。物理的な視線も変わってきた。

 世界1周の旅を終えたころ、きっと、間違いなく自己を超越する新たな躍進を遂げることだろう。その時の再会を楽しみにしている。

 最後になるが、ご来宅のお土産として氏の著作2冊と九州のラーメン、物心両面の糧をいただいた。心から感謝したい。

 ● 「台湾とは何か」~第11回樫山純三賞(一般書部門)受賞作

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