私は日本をディスってますか?WhoよりもWhatにフォーカス

 「最近の立花さんは、日本をディスる投稿が多すぎと感じた」

 私はフェイスブックで某友人からこう批判された。まず、「ディスる」という言葉には大変違和感を感じたので、念のため再度チェックしてみた。辞書にこんなふうに書いてある――。
 
 「相手を馬鹿にしてはずかしめる」という意味。英語としての語源は、「(ディスリスペクト )disrespect」という単語で、「無礼・不敬」という意味である。この単語を略したものが「ディス」になり、動詞で「ディスる」というネット用語になる。

 私は日本をこよなく愛している。不敬などそうした気持ちは一度ももったことがない。祝日以外にも、自宅の居間に日の丸を常時掲揚している。私が自分のサイトやフェイスブックにどのような、日本に無礼や不敬なことを言ったか、是非ご指摘をいただきたい。
 
 ただ、私は日本の問題点を度々指摘していることも、批判していることも事実だ。日本はいつ批判できない国になったのか?私は愛国とは、自国に無原則、無節操な賞讃だけを捧げるものとは考えていない。日本も他国同様、光と蔭があり、暗黒面もある。そうした問題点を率直に批判し、できれば是正の提言をすることこそが愛国心の表れではないだろうか。

 左右の闘いはあっていい。ただ論戦よりも、自派だけ集結して相手陣営を罵るのと自画自賛の同調の嵐にひと時の心の安寧や満足感を得るものなら、それははたしてどこまで意味があるのだろうか。その同調圧力もまさしく今日の日本社会の深刻な問題ではないだろうか。

 私が朝日新聞の記事を引用しただけでも、「引用の瑕疵」「朝日引用はパヨク」と指摘され、笑うに笑えない状況だった。自民党の政策なら、安倍首相の決定なら、何でもヨイショする。朝日新聞の引用ならすなわち瑕疵だと。それが保守というのなら、あまりにも幼稚で浅薄すぎないか。

 繰り返しているように、私は「Who(誰)」よりも、まずは「What(何)」にフォーカスする。私は経営コンサルタントだ。顧客企業のトップ(Who)がこういうから、こうだというのではない。その中身(What)がその会社の利益に合致しているかどうかを判断するのである。

 安倍政権・与党のいうことをすべて否定する野党、それはとてもおかしい。では、その野党のいうことをもまたすべて否定するのもおかしくないか。野党と同レベルに成り下がっていないか。だから、Whoではなく、Whatにフォーカスしようと、私は言っているわけだ。

 この文章を読んでもおそらく賛否両論だろうが、それはかまわない。ただ、私は自分の原理原則を変えるつもりはない。日本を愛する気持ちが同じでも、愛し方はそれぞれあっていい。私には私なりの「My way」がある。

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