ペナン食い倒れ日記(8)~飲茶と Dim Sum、庶民の社交サロン

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 「飲茶」の英語は、「Dim Sum」(点心)。目的と手段が対置される意訳である。

 「飲茶」というのはいったい、お茶を飲むための点心か、それとも点心を食べるためのお茶か。昔香港駐在時代にいろんな香港人にこの質問を突きつけたが、これといった統一された回答をついに得ることはなかった。

 お茶か点心か、そんなものはどうでもいい。要するに、楽しいひと時を過ごせばそれでいい。私は乱暴にも自分なりの回答を出して勝手に正解としたのだ。楽しいひと時。自由に満ちた楽しいひと時である。

 大東酒楼。早朝から満席。飲茶客を観察すると、お茶をちびちびと飲みながら、点心を次から次へと平らげていく客もいれば、チャーシュー包(饅頭)1個だけ食べてゆっくりお茶を楽しみ、朝刊に読み耽る客もいる。

 さらに面白いことを発見。5~6名掛けの円卓に1人単位の客が次々と入れ替わるものの、入れ替わった異なるコンビ同士が仲良くお喋りで話に花を咲かせているのではないか。

 要するに常連客同士の相席だ。1人に1枚の伝票。自分の注文したものだけが記入されているから、好きな時間に勝手に席を立って自分の勘定を済ませて店を去っていくだけ。煩雑な計算を必要とする日本式の割り勘からすれば、これほどシンプルなシステムはない。

 長居する客もいれば、5分や10分で切り上げていく客もいる。個人の好きなペースでいい。飲茶というシステムの根本的な位置付けとは何か。原点に戻ればやはり、庶民の社交サロンといったほうが適切ではないだろうか。

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