努力と報酬の関係、「不確実性」の世界をどう迎えるか?

 変わろうとする時代を前に、日本人は戸惑っている。なぜ?「スキナー箱」の実験を思い出す。

 スキナー箱は、アメリカの心理学者・行動科学者バラス・スキナーによって開発された、行動研究に用いる実験装置である。この実験は「報酬実験」とも言われ、動物はどのように報酬が与えられることによって強い動機づけが働くかを調べるのが目的である。箱の中には押し下げるレバーと餌の出るディスペンサーがついている。スキナーは異なる条件が設定された4つの箱を用意し、ネズミをそれぞれの箱の中に入れ、どの条件下でネズミが一番レバーを押し下げるかを調べる。

 1番箱(固定間隔箱)=レバーの押し下げに関係なく、一定の間隔で餌が出る。
 2番箱(変動間隔箱)=レバーの押し下げに関係なく、不定期の間隔で餌が出る。
 3番箱(固定比率箱)=レバーを押すと、必ず餌が出る。
 4番箱(変動比率箱)=レバーを押すと、不確実に餌が出る(出たり出なかったりする)。

 さて、どの箱のネズミがいちばんレバーを押すのだろうか。なんと、4番箱のレバーがいちばん押され、「4→3→2→1」の順番でレバーを押す回数が減少することが分かった。

 一般的に3番箱のレバーがいちばん押されるかと思いがちだが、実験の結果は違って、4番になっていた。より不確実性に富んだ報酬に興味が示されること、言い換えれば、不確実性がより行動を引き起こすための強い動機付けにつながることが判明した。人間世界にも多く見られる現象だ。

 たとえば、スマホ症候群。スマートフォンの長時間使用によって起る諸症状のことである。病的なスマホの使用が社会問題になっている。スマホというよりも、正確にいうと、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の過剰使用である。なぜSNSに大量の時間を投入するのか。主に2つの誘因があると思う。1つは他人からどんな投稿があったかという「他者起源」の不確実性、もう1つは自分の投稿に対するどんな反響があったのかという「自己起源」の不確実性。

 「不確実性」という「報酬」が与えられることによって、人間(動物)がより能動的に行動を起こしている。「不確実性」が動物の動機づけを強化する有用な「報酬」であることが証明されたのである。

 資本主義制度の最大の特徴は、その「不確実性」にある。レバーを押すと、餌が出たり出なかったりする。努力は報われたり報われなかったり、不確実性に満ちている。だから、いちばん努力しなければならないのである(参照:「努力しても報われない」時代、神の救済にあずかるための方法)。資本主義の導入や浸透によって人間の働く動機づけが恒常的に強化され、多くの富や価値が創出され、人類は史上最大の繁栄に恵まれた(もちろん副作用もたくさんあったが)。

 努力しても報酬は保障されているわけではない。だからこそ、努力する。たくさん努力する。常に努力する。効率の良い努力ができるように努力する。資本主義制度下に置かれるわれわれは、スキナーの「4番箱」にいるネズミのように「不確実性」と対峙しながらも、ひたすらレバーを押し続ける。

 一方、資本主義諸国のなかでも、戦後の日本だけは諸般の事情により特殊な立場に置かれ、比類なき「結果平等」の社会になった。つまり、日本人だけはスキナーの「3番箱」に置かれ、レバーを押すと必ず餌が出る仕組みに恵まれ、頑張りさえすれば、基本的に誰もが生活の改善(報酬)を約束されていたのである。「努力は必ず報われる」という日本の常態はむしろ、資本主義制度下の非常態であった。

 資本主義という「4番箱」から疎遠にされた日本人は「3番箱」に慣れ親しみ始め、親和性が増し一体化が進む。その過程から副産物として生まれるのは「2番箱」や「1番箱」であった。レバーの押し下げに関係なく、一定の間隔で餌が出ると分かると、一部の人はレバーを押さなくなるのではなく、レバーを押すフリをしたり、あるいは不要なレバーを作り出したりする。しばらくすると、「レバーづくり」を生業とする人も現れる。

 時代が変わった。ついに餌の総量が足りなくなり、レバーを押しても、出てこなくなったりするようになる。つまり、日本人が置かれていた「3番箱」がいよいよ「4番箱」という元の姿に戻ろうとする。レバー押しのフリをしても、レバーづくりをしても、餌は出てこない。それどころか、レバーを懸命にたくさん押しても、餌が常に出てくる保証はどこにもない。日本人はついに、本物の資本主義「4番箱」と向き合わなければならなくなった。

 そんな新時代の本質は、日本人が「善」としてきた「安心」「安全」と対置される「悪」たる「不確実性」にある。そもそも「善と悪」とうい二項対立の枠組みを構築したのも西洋哲学自体なのである。さらに「善」「悪」という倫理的判断を加味すると、思考停止を招来せずにいられない。

 もし「善と悪」という二項対立の枠組みを使うとすれば、「安心」「安全」から生まれる自己防衛力や自己救済力、つまりサバイバル力の低下や欠落は「悪」に部類に入る。では、「悪」を生む「安心」「安全」は果たして「善」といえるのかというテーゼが新たに浮かび上がる。故に「善と悪」という倫理的な二項対立からは実務的な結果は生まれない。「餌」が必要なのだ。あらゆる思考や議論は「餌」という報酬をめぐって行われている。

 ならば、「不確実性」を「悪」としても意味がない。それどころか、資本主義の原点として、「4番箱」の「不確実性」によって人間の働く動機づけが恒常的に強化され、多くの富や価値を創出する源泉もまさにその「不確実性」にあるのではないか。であるから、「レバーづくり」ではなく、「餌づくり」に全力を傾注しなければならない。

 終身雇用という「3番箱」が崩壊しようとしている。「不確実性」の「4番箱」の時代がやってくる。努力しても結果としての報酬は保障されているわけではない。だからこそ、努力する。たくさん努力する。常に努力する。効率の良い努力ができるように努力する。「不確実性」と対峙しながらも、ひたすらレバーを押し続ける。

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