マレーシア移住(14)~危機一髪の起業、無計画な海外移住はやめよ

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 2000年の夏は暑かった。8月、私と妻を乗せた中国国際航空機が上海に向けて、成田を飛び立った。今回は駐在員赴任当時のようなビジネスクラスもシャンパンもない。最安値のディスカウント航空券だった。さよなら、ニッポン!

 それからの1年間は、地獄の1年間だった。2001年10月、私37歳の誕生日を迎えたとき、上海エリス・コンサルティング有限公司が誕生した。2002年春、起業して1年半経過。ようやく自社オフィスを確保。

 そして、翌年2003年、業容拡大に伴い、上海外灘(バンド)の近くにある中匯大厦の602号室に会社が転居した。これは、私が夢にも見ていたことだった。この602号室は、何と、元ロイター上海事務所が入居していた場所だった。90年代、私は、同じこの602号室にあるロイター上海で駐在員として働いていたのだった。同じ風景が見える同じ場所ではあるが、看板が変わっていた――。

 「ロイター」という大企業の看板が外されていた。その代わりに、そこにあるのは、私が3年前にロイターの本部長に約束した自分の「立花商店」だった。

2003年、ロイター上海の「跡地」に「立花商店」が入居した

 ここまで書いていると、気付かれるだろうが、私の海外起業や移住は、衝動的な意思決定で、まったく無計画なものだった。それが軌道に乗って成功したのは、偶然的な結果にすぎない。中国に出たのが早かったこと、そして人事労務コンサルに特化したこと、いずれも競合が少なく、私に有利な要素が集中したからだ。

 僅かな創業資金が底に着く直前に、受注が軌道に乗り出し、辛うじてキャッシュフローが成り立ったことは、奇跡ともいえる。幸運としか言いようがない。振り返ってみると、冷や汗もので、間違っても私の真似をしないでほしい。やはりある程度のリサーチはしっかりしたほうがいい。

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