「パラノ」と「スキゾ」、日本人の美弱化

 制度の中に安住する。

 ――日本人を含めた現代人、いや特に日本人に顕著に見られる社会現象である。ある程度の自由を犠牲にしても、引き換えとして長期にわたっての保障を得る、というトレードオフである。長きにわたってそうした制度内にいると、たとえ自由を与えられてもそれを享受することができなくなる。それどころか、戸惑いすら感じ、自由を迷惑視し、自由の受け入れを拒否する。野生動物が檻の中に入れられ飼育されていると、野生に復帰できなくなる。これと同じ原理である。

 「自由」は、死を意味する。

 「パラノ」とは、「パラノイア」の略。ドゥルーズとガタリの提示する概念で、偏執的・統合的に物事を捉え、制度内に安住する保守的傾向をいう。生産を基盤とする近代文明の特徴的性格を有する。「パラノ」に対置されるのは「スキゾ」。「スキゾフレニア」の略、これもドゥルーズとガタリが提示した概念で、常に制度や秩序から逃れ出てゆく、非定住的・分裂的傾向をいう。消費を中心とする脱近代社会のモデルである。

 まさに「確実性」と「不確実性」の対置でもある。大学を出て、会社に就職し、家を買い、定年退職して老後を過ごす。社会的に出来上がった制度の中で将来を予測可能な状態にしつつ生きることを、日本人がレギュラーとしてきた。極めて「パラノ」的な状態である。しかし、この状態が崩壊しつつある。この先に求められるのは「スキゾ」型の生き方である。平たく言えば、流動性が世界の常識であり、これからの日本の常識にもなるのである。

 「天職」という職業の捉え方も危うくなってきた。AIに取って代わられる天職があるとすれば、その天職の経済的価値が薄れ、ないし消失し、持主に生計を確約するどころか、糧の断絶を意味するものにさえなり得る。日本人の固有の職業倫理や美意識は本質的な転換を求められている。「一筋」では生きていけなくなるかもしれない。

 産業も同じ。今日の花形産業が明日の衰退産業。銀行などはまさに好例だ。名門大学を出て銀行に入ることは一生の保障になる時代はとっくに終わった。日本の銀行は最近相次いでリストラを行っているが、それはまだまだ序の口だ。公務員はどうか。日本型制度の最後の砦になるかもしれないが、制度の崩壊も時間の問題だ。この通り、どの制度も将来を確約できなくなってきている。制度の転換交替周期がどんどん短くなっていくだろう。

 「一筋」のパラノ型よりも、「二筋」や「三筋」「多筋」のスキゾ型の職業観が優位に出ることは間違いない。美意識に基づく嘆きも無意味になる。私が最近使っている言葉だが、日本人は「美弱化」している。美しく衰弱死することと醜く強く生きること、どっちを選ぶか。それは各人の判断ではあるが、そもそも強くスキゾ的に生きられないから、弱者が自己美化をしているだけではないだろうか。何よりも生き残ることだ。

 スキゾ的な生き方。職人よりも、商人よりも、狩人であること!

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