ゴーン逃亡事件の本質は、「法」ではない「司法」だ

 ゴーン氏の逃亡事件。「何があっても法を守るべきだ」「何もやましい事がなければ、堂々と法の裁きに向き合うべきだ」「逃げは卑怯だ」という論調が目立つ。「法」と「司法」の違いを見落としている。

 「司法」とは、「法を司る(つかさどる)」、法を管理、支配することを意味する。専門的には、「具体的な争訟について、法を適用し、宣言することにより、これを裁定する国家作用」と定義している。法を司る主体は、人間であり、組織であることを看過できない。

 人間や組織が絡んでいる以上、雑多な利害関係が絡み、故意または過失による不正や瑕疵も生じ得る。これが「法」の問題よりも、「司法」の問題である。今回のゴーン氏事件の焦点は、日本の司法制度に当てられている。

 ゴーン氏の担当弁護士高野隆氏が自身のブログ(2020年1月4日)にこう書いている――。

 「一向に進まない証拠開示、証拠の一部を削除したり、開示の方法に細々とした制限を課してくる検察、弁護人に対しては証拠の目的外使用を禁じる一方で、やりたい放題の検察リーク、弁護人の詳細な予定主張を真面目に取り上げないメディア、『公訴棄却申し立て』の審理を後回しにしようとする公判裁判所、いつまでも決まらない公判日程、嫌がらせのようにつきまとい続ける探偵業者などなど。……妻キャロルさんとの接触禁止という、国際人権規約に違反することが明白」

 「残念ながら、この国では刑事被告人にとって公正な裁判など期待することはできない。裁判官は独立した司法官ではない。官僚組織の一部だ。日本のメディアは検察庁の広報機関に過ぎない。しかし、多くの日本人はそのことに気がついていない。……誰もその(日本の司法の)実態を知らない。みんな日本は人権が保障された文明国だと思い込んでいる」

 「カルロス、とても申し訳ない。本当に日本の制度は恥ずかしい。一刻も早くこの状況を改善するために私は全力を尽くすよ」

 「彼(ゴーン氏)がこの1年あまりの間に見てきた日本の司法とそれを取り巻く環境を考えると、この密出国を『暴挙』『裏切り』『犯罪』と言って全否定することはできない」

 法はつねに正義と抱き合わせ。法の正義を実現するためにもっとも重要とされるのは、「手続の正義」である。少しでも法律の常識をもつ人なら、一度や二度くらいはこの概念を聞いたことがあるだろう。ゴーン氏は「逃げ」を、手続の正義を取り戻すための唯一の手段と考えていただろう。推定無罪の原則があって、その下で「不当な裁判」(手続の不正義)よりも「正当な裁判」(手続の正義)を求めたいから、その選択権を「不当な手段」で手に入れたわけだ。「不当には不当で対抗する」しかなかったのだ。

 それが、高野弁護士がゴーン氏の逃亡を全否定できないと主張する、底流にある理由ではなかろうか。

 「確かに私は裏切られた。しかし、裏切ったのはカルロス・ゴーンではない」。高野弁護士がこの言葉で記事を締め括った。では、高野弁護士を裏切ったのは誰であろうか。一人ひとりの日本人が考えるべきことだ。

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