「社交性」と「経済性」、フェイスブックの使い方色々

 フェイスブックを使い始めて12年になる。友達も5000名で枠一杯。途中で一時期、こういう社交ツールで時間の浪費になると思って止めたこともあったが、何とか継続してきた。最大の理由というと、少なからず勉強になり、そうした意味での「経済性」が存在しているからだ。

 量的に、他人の投稿を全部見るわけにはいけない。選択的にみている。勉強になることを書く人はだいたい決まっている。その人たちの投稿は時間がある限りチェックするようにしている。もちろん、ほかの人でもときどきためになることを書いたり、参考になる記事をシェアしたりするので、有難い。これは直接学習である。

 間接学習もある。たとえば、「炎上学習」がかなり役に立つ。炎上から勉強になることが多い。それは自分の間違いに気づくこともあれば、他人の間違いから間違いのメカニズムを知ることもある。時々「とんでもない」人もいる。周りから「よくも付き合っていられるね」と言われるが、それは実をいうと、相手の言行で行動心理学や社会心理学の勉強になることがある。相手に大変失礼かもしれないが……。

 さらに炎上の場合、援護射撃が入るときがある。Aさんの投稿に私が反論すると、Aさんの友人Bさんから援護射撃が入ったり、逆にAさんの友人Cさんが私に「Aさんの発言がおかしい、私も賛同できない」とメッセンジャーをくれたり、いろいろ反応がある。さらに援護射撃は本気援護と友情援護、両方ミックスなどといろんな場面がある。これも勉強になる。

 私の仕事に、経営・人事という一番「濃厚」な部分があって、ついに本能的に人間模様をじーっと見つめてしまう。大変失礼な習慣ではあるが、なかなか改められない。「立花のやつ気持ちが悪い」と思ったら、私を解除してもらってもかまわない。こそこそやるよりも、あえて明かしたほうがいいかなと思って正直に書いた。

 マーケティング面では、たとえば広告の傾向をみるのも面白い。広告が急に増えた業界や商品、ビジネスモデルなどが市場の趨勢を示すことがある。同じ業界同じ商品の広告でも時間が経過すると、その形態や内容が変わったりする。それも一種のメッセージである。世の中が変わっている。どう変わるか、それを示すいろんなベンチマークがフェイスブックのなかに隠されている。

 最後に実用性の価値。自分の知らない実用的情報や口コミをフェイスブックで知ったりすることはたびたびある。これは世間で一番よく利用されている部分かもしれない。

 このように学習や知的成果物の獲得という「経済性」に着目した私だが、いちばんの課題は「Give and Take」である。知らぬうちに他人から得たものの「お返し」として、自分で得た一次情報や断片的なスポット処理物をタイムラインに投稿する。これは自分にとって、顧客向け情報、著作物、コンサル現場の戦略方針提案、その他有償成果物に形成される前の一次情報の知的作業場として位置づけている。

 「ソーシャル」という名がつくもので、「社交性」の定義が重要になる。私自身は誕生日の直前にフェイスブック上の生年月日設定を抹消するのは、自動知らせ誘致による誕生日祝いを辞退するためである。他人の誕生日にも祝いメッセージを一切送らない主義の私は、そうした意味で社交性を極めて無味乾燥なものにしている。諸々、許しを請いたい。

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