自宅で焼き鳥、生産者と消費者を直結するビジネスモデルとは?

 自宅で焼き鳥。コロナで外出や外食の回数が減ったよりも、私はワクチン未接種者で外食ができないからだ。すると、どうしても「自給自足」型生活に向かわざるを得ない。鶏肉は独自ルートで鶏専門業者から取り寄せる。最初は犬猫用の食材として仕入れたが、試食してみると悪くないので人間用としても使うようになった。

 焼き鳥を食べながら、写真をSNSに投稿すると、EC通販プラットフォームM社の社長から連絡があった。その鶏専門業者を教えてくれないかと。友人でもあるし、もちろん教えるが、妻と冗談半分で心配していた。「M社のプラットフォームに乗っかると、今後値が上がるのではないか」と。

 ECプラットフォームに乗れば、M社の取り分が上乗せられるからだ。ただM社にはM社の言い分がある。エンドユーザーの消費者と生産者を直結するには、小ロット多品種物流という課題が横たわっている。一般の物流会社が取り扱ってくれないので、そこに参入の余地があったと。

 小ロット物流という「ニッチ市場」に従来の物流業者はなぜ手を付けなかったのか。決してその存在を知らないわけではない。採算ベースに乗らないからだ。ではM社が参入した場合、採算性の課題がクリアできるのか。M社は独自の車両や輸送手段に投資し始めているようだ。事業規模の拡大に伴い、物流網の拡充も求められる。莫大な投資と減価償却から収益圧力がかかってくる。

 M社はフルフィルメントに取り組んでいる。表現を変えると、フルフィルメントこそが金食い虫なのだ。フルフィルメントとは、注文受付・問合せ対応から決済、在庫管理、物流(ピッキング・梱包・配送)、アフターフォロー(サポート、返品・交換対応など)までの一連のプロセスのことを指す。

 フルフィルメントはどちかというと、付加価値を生み出す要素が少なく、逆に生産者にとっても消費者にとっても「付加コスト」になっている。その削減こそが、P2PやブロックチェーンというWeb3.0時代の要請である。

 「中央集権」「中央収奪」という構造的歪みは、「脱中央集権」によって是正されなければならない。英語の「Decentralization(ディセントラリゼーション)」は、「分散型」に訳されているが、「脱中央集権」がもっと適訳に近いのではないかと思う。フルフィルメントはある意味で物流プロセスにおける中央集権であり、時代の流れに逆行する。

 M社の事業趣旨は生産者と消費者の直結でありながらも、フルフィルメント・モデルに走った。目指す目的地は正しいが、ルートが間違っているように思える。

 例えば、もっともコストのかかる輸送・物流プロセスにおいて、代替手段の開発はそれほど難しい話ではない。グラブ(Grab)は当初タクシーの代替手段だけだったが、次第にモノを運ぶようになった。長距離輸送やハブ機能といった課題をクリアすれば、小ロット物流が主流化するのも空想ではない。さらにいうと、ドローン運搬が商用化するにはあと数年とかからない……。

 では、M社にとってのポテンシャルはないかというと、そうではない。繰り返しているように、M社の着目点は間違っていない。もう一度原点に立ち返って、ゼロベースで再検討すれば、違う景色が見えてくるはずだ。

 ただ、日本型組織では一度決まった既定方針を修正するには多大な障害が横たわっている。ここまで述べてきたのは「技術型課題」だったが、もっとも難しいのは人の問題、つまり「適応型課題」である。

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