Web3.0時代、脱中央集権・分散型はなぜ必要か

 1995年、私は愛用していたワープロを粗大ごみにし、分厚くて重厚感満点のIBMの最新鋭機パソコン「ThinkPad」を購入し、ピリリーピリリーピーツと、電話回線のダイアルアップ接続を使ってインターネットの世界に突入した。Web1.0、私は文字だらけの情報サイトを眺めて驚嘆していた。ワープロ時代では考えられなかった。

 2008年、ついに私がブログとFaceBookを始めた。一方的垂れ流し情報の受信だけでなく、なんとネット世界においてはこんな単なる一個人でも発信できるようになった。またまた大いに驚き、そして喜んだ。Web2.0の世界、これも10年前では考えられなかった。

 ブロックチェーン、暗号資産(仮想通貨)、DAO(分散型自律組織)、メタバース、量子コンピュータといったキーワード(タグ)が私自身のサイト記事に顔をのぞかせ始めたのは、2018年5月あたりからだった。そして今はさらに、Web3.0という統合的キーワードをつけ、網羅させた。

 Web1.0時代のインターネットは、一方通行による情報の流通だけだった。Web2.0は、個人ベースによるブログやSNSでの情報発信が可能になり、双方向・多方向そしてクラウド形態によって情報の共有が実現した。だが、これらの情報共有はある「中央(センター)」への集結を前提にしていた。

 その「中央」とは、GoogleやFacebookのような独占的な情報プラットフォーム企業である。彼らは世界数十億人規模の個人情報(プライバシー)や検索履歴、取引データを保持し、そのデータから広告収入で膨大な収益を上げている。

 世界が便利になった。無料SNSサービスで喜んでいる人がほとんどだが、人生の貴重な時間資源の浪費に気付かない。時間は神様が人類に与えた唯一公平・平等な資本であるにもかかわらず、これに気付かずにSNS中毒者になり下がった数十億人の時間が広告の価値を創出している。つまりはプラットフォーム大手企業がユーザーの時間資本を収奪し、膨大な広告収益を上げているわけだ。

 それだけではない。プラットフォーム大手企業は、SNS等運営上のあらゆるルールの決定権、米国大統領の言論の自由まで剥奪できる「生殺与奪の権」を握っているのだ。

 Web2.0時代に生まれた「中央集権」「中央収奪」という構造的歪みは、「脱中央集権」によって是正されなければならない。英語の「Decentralization(ディセントラリゼーション)」は、「分散型」に訳されているが、「脱中央集権」がもっと適訳に近いのではないかと思う。

 これこそが真の民主主義であり、岸田式とまったく異なる真の「新しい資本主義」である。

 大企業や国家といった中央集権組織による独裁的・搾取的な介在を排除し、権力や利益の分配公平性中立性透明性を付与する。これがWeb3.0時代である。

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