日本本社の主導権を奪うな!議論無用第一ラウンド淘汰の真相

 某大手企業A社から、人事制度診断依頼のキャンセルが来た。理由は、「日本本社の主導ということになった」だった。

 私は、少し考え込んだ。ほかにも、いままで、このようなケースは何件かあったからだ。日本本社が、なぜ中国現地法人の「主導権」にこだわるのか。よく、考えると、私がコンサルタントとして、あくまでも意見を述べるまでであって、その意見の採否の決定権は、あくまでも顧客企業側にあるのではないか。そもそも、コンサルタントは、顧客企業の経営「主導権」を握ることなどできるはずがない。コンサルタントからは、企業はあくまでも「意見を聞く」だけである。だったら、私だけでなく、ほかにも、一人でも多くのコンサルタントや専門家から意見を聞いた方がいいじゃないか。いわゆる、セカンドオピニオンやサードオピニオンを聞いて、そこで判断し、取捨選択すればよい。

 社外の一コンサルタントである私の意見を聞いただけで、企業が「主導権」を失ってしまう理由は、たった一つしか考えられない。それは、私の意見が、その企業にとって正しい意見だからだ。しかも、その正しい意見は、あくまでも企業の利益になるが、その企業内の特定の利益集団にとって必ずしも利益にならず、時には、不利益にさえなるからだ。

 結果は明白だ。企業と企業内の利益集団との「利益相反」が生じていることだ。

 私の主張することが、企業にとって利益であれば、公に議論の場に上げると、誰も反対できなくなる。すると、特定利益集団の利益が損なわれることになる。それを阻止する方法は、たった一つしかない―「議論をしない」ことだ。

 そこで、都合の良い言い訳は、「会社が主導権を取る」という大義名分だ。ところが、よく中身を見ると、ロジックがまったく成り立たない。冒頭で述べたとおり、コンサルタントはそもそも、顧客企業の「主導権」を取れるはずがない。コンサルタントの一言で、「主導権」を失ってしまうような企業は、世の中に存在したら、それこそ失笑するものだ。しかも、私は、役人の天下りでもなければ、大企業や財団のバックグランドもない。エリス・コンサルティングは、無名な一個人が立ち上げたちっぽけな零細コンサル企業に過ぎない。年商数千億円に上る上場企業の主導権を取れると思いますか?えびは鯨を食うことはやっぱりできないのだ。

 結論を申し上げよう。失う恐れがある「主導権」とは、企業の「主導権」ではなく、企業内の特定利益集団の「主導権」である。このような結論ほかにはならない。

 そこで、釈明させてほしい。私は、決して意地悪しているわけではない。企業内の特定利益集団の利益を意図的に奪い取ろうとしたくて、むずむずしているわけではない。逆に、企業と企業内個人の利益を一致させることは、まさに、コンサルタントの仕事である。ただ、問題は、いままでの過程にすでに形成した既得利益にある。それも、私は、企業の利益さえ損なわれない限り、個人の既得利益の保証と最大化に余念がない。そのような最大な努力にもかかわらず、やはり最終的に、一部調整必要な箇所も出てくるだろう。既得利益は、決して、アンタッチャブルなものになってはならない。

 「改革は、聖域なし」

 小泉内閣が掲げる「聖域なき構造改革」の理念は、決して間違っていない。いま、中国の人事労務現場では、大きな、抜本的な「構造改革」を必要としている。日本企業の本社は、やることがいっぱいだ。中国事業の長期戦略はあるのか?その長期戦略に基づいたアプローチの設計はあるのか?現地法人経営上の「主導権」よりも、はるかにスケールの大きな仕事がいっぱいあるのだ。いつまでも、ちっぽけな「主導権」を抱え込んでいたら、中国事業は絶対に伸びない。私はコンサルタントの命を賭けて断言しても良い。

 このような「暴言」を言い放すと、商売が逃げてしまう。よく、周りからひやひやされる。それは、重々承知している。しかし、誰か特定利益集団のために、企業にとっての最善案を放棄したら、コンサルタントとして死んだも同然。コンサルタントの良心などといったら、古臭いと言われるのかもしれないが、私は、商売を捨てても、理念を決して曲げることはできない。そんな愚直者である。
 
 私がいただくコンサルティングフィーは、顧客企業利益の最大化に基づいている。決して、給料泥棒をやってはならない。

 私がたとえ少数派でも、賛同してくださる企業と経営者、管理者の方々も少なからずおられる。このような企業と一緒に仕事のできることを、私がとても幸せに思っている。

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