首都陥落を目前にして…

 首都キエフの陥落はおそらく時間の問題だ。私はふと、タブー視されるべきあることを思い出してしまった。ナチス政権の宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの記録だ。

 「我々は国民を強制したことは一度もない、彼らが我々を選んだのだ、その結果がこうであっても彼らに同情など一切無用である。(ヒトラー)総統は言われた、ロシア人に帝国を引き渡すくらいなら、この国全てを破壊するよう私は命じた」

 背景も戦いの性質もまったく異なるが、首都陥落(ベルリン、キエフ)という結果だけが酷似している。そうした現実に直面した指導者の姿勢は以下の共通点がある。

 1. 指導者はいずれも民選であり、高い支持率を得ていること。
 2. 降伏を拒み、徹底抗戦の姿勢がとられたこと。
 3. 使命感や精神論に徹し、国民の犠牲や資産の損失を度外視していること。

 鳥肌が立つ。プーチンが狂人というなら、ゼレンスキーは正常といえるのか?

 理性的な人はみんな分かっている。キエフまで20キロのところに60キロにも及ぶ車列で待機しているロシア軍は立ち往生しているわけではないこと。勝敗ははっきりしている。いかに死傷者を減らすかは、ゼレンスキー次第。早い段階で国外逃亡すれば、国民のためにもなる。コメディアンが悲劇の主役になりたいという自惚れを捨てないと、多くの命が失われる。

 戦う男の姿が美しい。中世の純粋たる領土拡張あるいは領土保衛戦なら、確かにその通りだ。しかし、現代の戦いは複雑な利害関係が絡んでいる。醜い裏取引があっての戦いならば、純粋な美学で片付けられない。いささか幼稚ではないか。いや、でもそれが「純朴な美学」といったらそこまでだが。

 ただ死ぬのは他人だから、軽々しく美学を語ってはいけない。それ自体が「美」ではないからだ。

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