「腐った肉」と「腐った魚」、日本国民よどっちにしますか?

 参院選が11日投開票された。民主党は04年の50議席に及ばない44議席にとどまり、自民党の51議席を下回る大敗となった。

 大敗したのは、民主党だけではない。日本国民も大敗を喫したのだった。もちろん、自民党も勝っていない。勝者なき選挙だった。

 昨夏、民主党が大勝して政権を奪取した翌日に、私はブログで「2009年08月31日 腐った肉と正体不明な魚、政権交代のための政権交代か」を書いた。

 「自民党は腐った肉、民主党は正体不明な魚」といった。

 その後1年未満の間、民主党の正体が判明された。やはり、「腐った魚」だった。

 今回の参院選は、昨年よりさらに、難しくなった。「腐った肉」と「腐った魚」から選べというのだ。そこで、「腐った魚」の臭いで悶絶する日本国民は、いよいよ究極の選択で、今度はまた戻って「腐った肉」を拾った。どっちも腐っているが、でも、選べる。これは、民主主義の極意なのである。

 民主党が人騙しというのだったら、民主党を選んだのは日本国民ではないか。わずか1年未満のどんでん返し。民主党を選んだ国民自身に責任はないものか。せっかく選んだ「魚」なのだから、せいぜい数年やらせて見ようではないか。菅直人首相は12日未明、自身の消費税引き上げ発言について「十分な説明が不足していたことが大きな(敗北の)要因」と認めたが、私は、そう思わない。たとえ、十分な説明がなされても、大多数の日本国民は納得するはずがない。そこが民主主義の落とし穴である。多数決の「多数」は、常に正しいのだろうか?

 菅首相の消費税引き上げ論は、日本という国家の将来を考えての決断だと思う。これだけは残念だ。民主党も自民党も基本的に同じだ。民主党にも自民党にも問題がたくさんあるが、根本的な大問題は日本国民にあるのだ。

 日本国民の意識改革をなくして、日本の将来はない。