人権を声高に唱える、愚民の正体とは?

 人権を声高に唱える被支配者のほとんどが、思考停止した愚民。

 彼らは、「権利」の対極にある義務や責任、リスク、コストには自覚なきまま、刷り込まれた「人権」を声高に唱えているだけ。来る日も来る日も支配者の馬鹿馬鹿しいお芝居に浸かり、馬車馬として支配者や特権階層の奴隷をひたすら務めていく。死ぬまでだ。

 「人権」を唱える自由が付与されているのは、「人権」である。今は奴隷にも人権があり、動物だって動物権がある世界だ。地球は各種の鳴き声で賑わっている。動物は餌を食って発情期をすぎると鳴き止むが、人間は、そういうわけには行かない。

 私のサイトでは、「Don’t Disturb」だ。

 伊藤貫氏の講義より――。「民主主義の国では、本当にまともな優れた人格者で指導者としての能力をもつ人は政治家になりたがらない。理由は来る日も来る日も、ものを考える能力の高くない民衆相手に、人気取りのために馬鹿馬鹿しいお芝居をしなければならないから。それで国家が衰退してしまう」【伊藤貫の真剣な雑談】第9回「プラトン哲学と国家の独立」

 だから、あえて言うなら、プーチンや習近平や金正恩の方が、帝王学に精通し、よほど指導者らしい指導者である。このような言説に反感を覚える人はたくさんいるだろう。その人たちは伊藤氏が言っている「能力の高くない民衆」だ。要は、愚民だ。愚民!

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