トップの暴走と大衆の脱線、有権者の迷走と経営者の暴走

 「いまの日本の問題はどこにあるのか」。先日、中国X市訪日代表団のA団長に聞かれた。私は以下の旨の回答をした。

 一番大きな問題点は、私流に言わせてもらうと、「民主主義の副作用」だ――。国のリーダー、政治家が言いたい(言うべき)ことをいえない、やりたい(やるべき)ことをやれないことだ。正確にいうと、国民が好まないことをいえない、国民が好まないことをやれないことだ。国民が好まないことを言ったら、やったら、リーダーの座から引き下ろされてしまう。国民の総意、あるいは大多数の意思でものを言わせるのが、民主主義の最大な優越性だが、一方、副作用もある――。大多数の短期利益が国の長期利益に相反するときである。大多数の意思が必ずしも恒久的に正しいとは限らないからである。民主主義はその抑止効果を基本的に持っていない。

 さらにいうと、「トップの暴走」と「大衆の脱線」である。ある意味では、むしろ後者がもっと怖いのかもしれない。

 二大政党制が日本の風土に合わないというよりも、風土すら出来ていないのが今の日本だ。民主党と自民党のどこが根本的に違うのか、与党と野党の違い以外、違いを見出せないのだ。

 日本という国に有益なことは何か?今後30年、50年そして100年のスパンで考え、語り、たとえ国民が好まないことでも、じっくりと説得できる政治家は、残念ながら、今の日本にはいない。

 それが一番大きな問題だ。

 「日本のリーダーは、なぜころころ変わるの?」、中国X市訪日代表団のA団長に突っ込まれた。
 
 そもそもリーダー像の問題だ。偉くなると、日本の政治家は狙い撃ちされる。その一つはスキャンダルだ。それは、私がずっと不思議に思っていたことだ。

 「クリーンなイメージをもつリーダーA、ドロドロでたまにスキャンダルもあるリーダーB、さて、有権者のあなた、AとB、誰を選ぶか」

 そこで、結論を出してしまうのが大方だが、ちょっとまった。そもそも、仮説の問題に気付いていないか。

 「AとB、どっちが日本をよくすることが出来るのか」。

 スキャンダルまでいかなくとも、日本では政治家がたたかれることが多い。小泉さんは改革をやった。その改革で、貧富の格差が広がった。だから小泉さんが悪い。このロジックは果たして成立するのだろうか?

 貧富の格差の原因は、いったい何なのか?改革をやったことが原因なのだろうか?別の原因がなかっただろうか?あるいは、改革が足りなかったのが原因なのかもしれない・・・。世の中はそう簡単ではない。

 要は、論理的な議論が不足している。国民の間でもっと広く論理的な議論を展開すべきだ。ところが、日本人はロジック、論理的な議論には不得意である。ロジックなき議論は、往々にして仮説の取り違いでとんでもない方向に行ってしまう。

 国だけではない、企業現場でもこのような現象がしばしば見られる。これは、有権者の迷走と経営者の暴走という。

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