琥珀色のマジック、ナンプラーとトマトケチャップの市場論

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 「ナンプラーですね、すぐにお持ちします」

50985_1ナンプラー(唐辛子入り)

 リゾートで一週間も泊まると、食の嗜好が完全にレストランのスタッフに覚えられ、着席すると、すぐに大好きなナンプラーを持ってきてくれる。かなり異色な外国人だろうから、珍しがられているようだ。

 ナンプラーってご存知だろうか?要は日本のしょっつる。

 ケチャップ全盛期の今の世界では、しょっつるの知名度はさぞかし低いだろう。しょっつるとは、秋田県(男鹿)産の魚醤だ。ほかに石川の「いしる」、香川の「いかなご醤油」もあって、いわゆる古来日本の三大魚醤だ。いま日本でも、秋田や石川、香川の郷土料理以外にあまり使われていないようだ。

50985_2トムヤムクン
50985b_2グリーンカレー(チッキン)

 ここタイでは、ナンプラー。ほかに、ベトナムのヌックマム(ニョクマムとも)、フィリピンのパティス (Patis)、カンボジアのトゥック・トレイ(Tuk Trey)、ラオスのナンパー(Nampaa)、ミャンマーのンガンピャーイェー(Ngan-pya-ye)、インドネシアのケチャップ・イカン(Kecap Ikan)、そして中国なら広東省やマカオ、福建省の魚露(ユーロウ)がすべて、「魚醤」の類に属する。

 「魚醤」の歴史が古い。遡って古代ローマ時代に、ガルム(Garum)という魚醤がすでに当時の料理に使われていた。考古学の調査によると、現在ヨーロッパや地中海一帯にアンチョビーペーストやサーディンペーストがある地域では、かつてはアンチョビやサーディンの魚醤油が使われていたという。そして、私の旅候補地の上位に上がっている南イタリアのアマルフィ周辺では、ガルムの血筋を引くカタクチイワシの魚醤、コラトゥーラが今なお作られているという。古代ローマ時代の稀代の美食家アピーキウスが残した現存する最古の料理書にもガルムは度々登場している。

 魚醤は、とにかく料理の味を引き立ててくれる。どんな料理でも美味しくしてくれる。美味しい料理はさらに美味しくしてくれる。ご飯に数滴の魚醤をたらすだけで料理は要らない。琥珀色のマジックだ。

50985_3タイのロブスター(グリル)
50985b_3魚料理

 ここタイなら、洋食のパンでもナンプラーで美味しく食べられる立花流の食し方を紹介しよう――。パンを一口サイズにちぎってまず、トムヤムクンのスープに突っ込んでさっと浸しておく。そして、数滴のナンプラーをたらし、唐辛子の輪切りを少々パラパラとかけて、さあ、いただきましょう。なんともいえない、複雑で深みのある味のハーモニーにポイントのピリピリ感の刺激で、一瞬にして天国に登るような快感に襲われる・・・

 しかし、残念なことに、魚醤が世界各地でマイナーな調味料に転落したことは、事実である。

 今日は、トマトケチャップの全盛期。フランチャイズ系のファーストフード店で、ギトギトに揚げられたフライドポテトを、ドロドロのトマトケチャップをたっぷりつけて頬張る人たちを目の当たりにして、私は限りなく悲しくなる(トマトケチャップ愛好家の皆さんには申し訳ないが、個人的嗜好と私見を述べるまで)。

50985_4カオパッ(チャーハン)
50985b_4鴨のレッドカレー

 しかし、このケチャップの語源は、中国・福建省や台湾の「鮭汁」 (Kechiap) という魚醤をさす言葉から来ていることはご存知だろうか。

 魚醤が「引き立て」系の調味料というのなら、トマトケチャップは「ごまかし」系になるだろう。現在の人間は味蕾の鍛錬を怠っているというよりも、味蕾の機能を低下させる食品が大量生産されている問題が大きい。

 マス系のフードチェーン店が上場できても、数少ない美味しん坊しかいかないような路地裏の飲食店はそもそも銀行から融資さえ受けることができない。そして、嵐のような広告やコマーシャル、食音痴の「美食番組」レポーター。現代人の味蕾衰退は、食品業者だけでなく、このように金融、広告、メディアなど産業チェーン丸ごと加担する産業行為の結果である。

 経済社会の発展は、必ずいろいろな副作用を生む――。ナンプラーの香りに陶酔しながらのつぶやきだった。

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