マレーシア不動産視察(2)~身の移住と心の拓殖

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 今回のマレーシア視察は、中国(華僑)系仲介業者も一社依頼している。当日、同行スタッフの一人、Aさんはなかなか珍しい人だった。

80193_2滞在中のマンダリン・オリエンタルKLの名物プールで泳ぐ

 「私は、中国が嫌いだ。大した用もなければ、なるべく中国には帰りません。あれは人間が住めるところじゃない。空気が汚い。食品安全も保証されていないし、何よりも人間関係なんて最悪だ・・・」

 中国に対して容赦なく、激しい非難の言葉を並べる中国人Aさんは、上海出身。イギリスとオーストラリアの大学を出た彼は、後ニュージーランドに定住、結婚。白人国家の人種差別に嫌気をさして、最終的に、マレーシアのペナンを永住の地に選んだ。

 彼の発言は彼自身の人生哲学と世界観、価値観を発露している。一部、強烈的な、政治的内容も含まれているので、この公開ブログに掲載できないのが残念だ。Aさんは、少なくともいわゆる中国的な「愛国精神」の持ち主ではない。だが、彼は彼なりのアイデンティティーを持っている。また、初対面の他人の前でしっかりと自分の考え方を伝える気魄は凄いと思う。

80193_380193b_3クアラルンプール市内、市場の鮮魚売り場(TTDIウェットマーケット)

 移住とは、一義的に故国を捨てることだが、よく考えると、故国の国境線外に居住するという物理的な現象に過ぎない。むしろ、その物理的距離がより一層精神的な要素、アイデンティティーの自覚を発露させる機能を持っているのかもしれない。

 マレーシア移住について、私はむしろセカンドホームよりも、ファーストホームの意気込みで臨みたい。

 「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる『困窮邦人』」(水谷竹秀 著)という本がある。昨今の日本人の東南アジア移住ブームについて、「貧困」や「老い」など個人的な事情と、「日本の無縁社会化」や「年金危機」など社会的事情あるいは国家財政的事情が複合的に絡んでいる背景が鮮明に描き出されている。そういう意味で、「日本を捨てた」よりも、「日本に捨てられた」と言えるのかもしれない。

80193_4マンダリン・オリエンタルKLでアフタヌーンティー

 人間は常に不幸を避け、幸せになろうとしている。「移住」もその中の一つの手段だ。日本人の郷土愛が強く、お国への否定はご法度だ。少し前に読んだ「日経ビジネス」の「海外移住」特集も「日本人に海外移住を推奨しているわけではない」とわざわざ前提の言明をしているくらいだ。私が思うには堂々と言えば良いのだ――。

 「日本人は、幸せになるのだったら、国を捨ててもよく、国に捨てられてもよく、どんどん海外に移住すればよい」

 今は「移住」というが、昔は「拓殖」だった。未開の荒地を切り開いて住みつく「拓殖」とは、相当な覚悟を決めて身を投げる壮絶物語で、今こそ言い出したら笑われるかもしれないが、われわれはマインド的に「拓殖」の精神を持ち続けるべきではないだろうか。

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