1回目審理、和解拒否・敗訴受入れ姿勢の変わった被申立人

<前回>

 当社が元日本人従業員Aさんに訴えられた労働仲裁について、6月5日に初回審理が当社顧客企業数社が傍聴するなかで行われた。

 パチッ。あとから到着する申立人の元従業員Aさんは、法廷に入ると、われわれが座っている被申立人席側に向かっていきなり、携帯電話で写真撮影を始めた。

 法廷撮影禁止。もっとも基本的な規則も知らないようだ。当社の元従業員、法務コンサルタント志望者である以上、顧客の前で私は一瞬頭が上がらなかった。

 1時間ほど事実関係の陳述を経て、いよいよ一回目の審理が終盤に差し掛かると、仲裁員から「双方和解するつもりはありますか」と打診してきた。

 「はい」、申立人のAさんが答える。
 「いいえ」、被申立人の当社が拒否する。
 「もう一度、聞きます、申立人と被申立人、双方和解するつもりはありますか」、仲裁員が再確認する。
 「はい、和解したい」、申立人のAさん。
 「いいえ、和解交渉に応じません」、被申立人の当社。
 「申立人と単独で話をしますから、被申立人は一旦退廷して外で待ちなさい」、仲裁員。

 退廷して10分ほど経過して再度入廷。今度、申立人が退廷して、仲裁員と被申立人(当社)が単独で話し合う。

 申立人Aさんが和解を望んでいること、裁決にあたる当社の敗訴の可能性、敗訴にあたっての賠償金支払いのリスク、そして、(二回目以降)本審理に向けて証拠整備に多大な労力、時間と費用(公証役人による証拠電子メールの公証、日本語電子メールの中国語翻訳など)がかかることを告知され、それよりも簡易な和解交渉の受入れを、仲裁員から、繰り返し何度も勧められた。

 私は仲裁員にこう答えた。

 「和解というのは、当事者に落ち度があって、あるいは裁決や判決よりも経済的に有利だったり、対外影響的にも被害を最小限に抑えたりするうえで、取りうる手段です。今回の仲裁について、まず会社側としてコンプライアンス上、最大な努力をしたつもりです。落ち度なき交渉については、倫理的に、原理原則的にも受け入れることはできません」

 「次に、経済性や対外的影響についてですが、原理原則最優先の観点から、すでに、落ち度なき交渉は考慮する余地がありません。逆に、もし敗訴になった場合、私たちは真摯にその結果を受け入れたい。コンプライアンスや人事制度のプロとして、私たちはすでに最善を尽くしたつもりで、なおかつ顧客企業にも最善として指導している以上、これでも不備や瑕疵がある、あるいは法廷がそのような見解を示してくれれば、それは私たちがすぐにでも反省し、改善のリアクションを取らなければならないところです。そこで、もし和解でただ目先の問題だけを解決したなら、いや、これはある意味で問題の解決ではなく、根本的な問題の包み隠し、卑怯な逃避行為に過ぎません。そのうち、隠された問題がさらに新たな問題を生み、問題の拡大、悪化を招来するだけです」

 「もっと重要な問題に、私たちは人事労務コンサルタントとして他社に対して指導する立場にあります。この意味で、私たちの会社は、一種の公器です。ですから、私たちの会社の問題だけではありません。問題をただ自社私利のために潰すわけにはまいりません。今回仲裁や裁判の結果はどうであれ、仲裁や訴訟になった以上、原因や問題の究明と解決法の提示は、顧客企業に対する私たちの義務であって責任でもあります。そこから逃れることはできません。仲裁員のご好意には、心から感謝します。ただ、今回は非常に特殊なケースだということで、ご理解をいただきたい。またご迷惑をおかけしたこと、この場を借りてお詫びいたします」

 いつも厳粛で幾分険しい表情の仲裁員はなんと、実に明るい笑顔を浮かべた。「あなたは、相当変わった人ですね。私の長い職歴の中でも、初めてです。こんな企業、こんな社長、見たことがありません。価値観と信念ですかね・・・」

 私は、勝ち続けることはできない。でも、負けから新たな勝ちを手に入れることができる。いや、私だけではない、誰もができることだ。転ぶことがなければ、立ち上がることもない。

<次回>

タグ: