公開傍聴を受け入れる、「人体実験」労働裁判で進化する

<前回>

 当社が元日本人従業員Aさんに訴えられた労働仲裁について、6月5日の初回審理から、セミナー受講者ならびに当社顧客企業優先で、公開傍聴を募集したところ(「労働紛争調停仲裁法」第26条の労働仲裁公開原則)、案内配信して数時間で満席になった。2回目以降の審理は傍聴席収容人数の多い大法廷で行うよう仲裁廷に求めるつもりだ。

 セミナーの事例学習で生きた教材として、ぜひ人事労務・管理現場で活躍される皆様と情報・教訓を共有したいと考えている。仲裁に先立って担当弁護士が準備に追われる中、公開傍聴の受入れにはいささか難色を示したが、最終的に私の主旨に賛同してくれた。心から感謝申し上げたい。

 裁判となれば、誰もが勝ちたいと願っている。特に当事者や担当弁護士なら言うまでもなく、勝訴を望み、敗訴を避けたいと考えるだろう。数多くの顧客企業の労働仲裁・訴訟を見てきて、あることに気付いた――。正しいことは、必ずしも勝訴するとは限らないし、正しくないことは、必ずしも敗訴するわけでもない。そもそも、正しいこととは何かを今一度検証しなければならないのである。

 ちょうど数週間前に、某顧客企業が、ある労働訴訟を当社顧問弁護士に依頼しようかしないかで迷っていたことがあった。「この訴訟は、会社が負ける可能性が大きいので、逆にエリスさんの名誉を落とし迷惑をかけてしまうのではないか」と気遣ってくれたのだった。

 私はこう答えた。「とんでもない。訴訟になった以上、それはすでに一種の負けだ。訴訟の勝敗そのものよりも、訴訟になった原因、敗訴なら敗訴になった原因を突き止めて、改善、進化することに大きな意義があるのではないか」

 顧客企業に偉そうにいうよりも、まず自社においてきちんと実践することが肝心ではないだろうか。逆に今回は絶好のチャンスで、自社訴訟案件を学習事例にして、原因の徹底究明に取り組み、コンサルの原理原則と姿勢を示したい。もちろん、反省をたくさんし、進化の一歩を踏み出したい。その一歩の前進を顧客企業と共有したい。

 このためにも、勝敗を度外視する必要がある。顧客企業の案件では絶対にできない「人体実験」を自社案件で行いたい。逆にこのような「人体実験」に巻き込まれる当社の弁護士には、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。1時間近くの激論で、最終的に主旨に賛同してくれた弁護士には、重ねて感謝する。

 原理原則に基づき正しいことを見定め、間違ったことを是正し、進化する。このような気持ちで仲裁・訴訟の場に臨みたい。

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