中国の「官」を恐れるな!水虫のような病巣

 昨日、労働仲裁法廷の「官」との戦いを書いて、読者の方から励ましの言葉をいただいた。嬉しい限りだ。

 不思議なことがある。あれだけ、会社に権利を主張する労働者は、いざ仲裁法廷やら「官」を前にして、まるで違った人に変身したかのように引っ込んでしまう。権利の主張どころか、ものさえ言えなくなる。

 中国には、「民不与官闘」、つまり「民は官と戦わない」と言う言葉があって、「民」が「官」を恐れるムードが非常に濃厚である。結局、「官」がうまくこのムードと心理を利用して、本来「官」に向けられる矛先を民間同士の対立に転嫁するのである。

 労働紛争も同じである。失業者の面倒をきちんと見るのが国、政府の責任である。しかし、この責任を民間に転嫁している。失業者の面倒を見るよりも、失業させないように、働かない人間も能力の低い人間も、企業に押し付ける。「解雇するな」と、めちゃくちゃに解雇を難しくし、金のかかるものにしてしまう。これは、ほかでなく、社会的コスト(社会の安全網の機能)を見事に民間に押し付けている行動ではないか。

 「官」は強い。「民」は戦えないので、民間同士の「労働者」と「企業」が戦うことになるわけだ。そこに、労使紛争が大量に急増する理由がある。

 考えてみてほしい。失業すれば、きちんと「官」が面倒を見てくれる国では、労働者が企業と死ぬつもりで戦う必要はあるのか。生存権となれば、人間は必死になる。新労働法令が実施して2年になるが、労働紛争に絡んだ殺人事件、傷害事件はどんどん増えているのではないか。それは、飯食えなくなれば、誰もが必死になる。

 「官」が負うべき責任や義務を民間に押し付ける一方、役人は権利、権力となると、手放さないばかりか、無限に拡大しようとする。たかが労働仲裁法廷の小役人でさえ、この有様である。「おれが、許可してやる」という姿勢だ。そこで、弁護士も「官」を恐れて、毅然としてできなくなり、法曹界のモラル崩壊につながる。

 これは、中国社会の深層に潜んでいる病巣なのである。まるで頑固な水虫の病巣のようで、なかなか根治できないのである。

タグ: