● 石破首相の「非現実的」な政策論
首相に就任した石破茂氏は、政策論が得意であり、「アジア版NATO」の創設と日米安保条約および地位協定の改正を同時に掲げている。この2つの政策は、理論的には可能であるが、実現には多くの課題を伴うというか、現実的ではないともいえる。
まず、「アジア版NATO」の創設に関してであるが、実務的な障壁が多い。アジア地域は多様な政治体制や経済状況、安全保障上の課題を抱えており、各国の脅威認識が一致していない。とりわけ東南アジア諸国は中国との経済的なつながりを重視し、「アジア版NATO」に参加するとは思えない。さらに、領土問題や歴史的な対立が解決されていない現状では、加盟国間の相互信頼の欠如が、共同防衛の実現を困難にするであろう。
次に、日米安保条約や地位協定の改正、特に日米の対等関係や米国への自衛隊の駐留に関しては、実現困難である。まず、日本国内における憲法の問題がある一方、米国にとっても、従来の同盟国に対する主導的な立場を変更することは、受け入れられないだろう。
こうした実務的な課題が多い中で、石破氏が「非現実的な」これらの構想を同時に掲げる意図は何であろうか。ある意味では、非現実的だからこそ現実的な手段なのだというパラドックスも考えられる。対米関係における日本の自立性が確立されれば、日本は「独立国家」として国益最大化における自己意思決定も、日中間の交渉も、米国の頭越しに可能になる。
日本と米国が対等なパートナーシップを築くことにより、日米同盟がより透明で安定した形で運営されることが期待できる。現在の不均衡な同盟関係は、時に米国の影響力が日本に過度に働き、予測不能な動きを生むことがある。日本がより自主的かつ独立した判断を下せるようになれば、日米同盟の目的や行動方針が明確化し、中国にとっても予測可能性が高まる。
日米の関係が対等化されることで、日本は米国一辺倒の安全保障政策から脱却し、より多様な外交戦略を展開する可能性がある。これにより、日本が中国との外交・経済協力を強化する余地が広がるかもしれない。

● 国民の声を拾い上げる
「僕は遊びたい、勉強なんかしたくない」。そんな子供の声を両親がまともに拾い上げるのだろうか。いいえ。子供の将来のためにならないからだ。国民もまた然り。国民の声を一つひとつ無差別に拾い上げたら、それは国民の将来のためにならないから、やるべきではない。国家国民のためなら、国民に不人気な政策も断固実施する。石破首相にお願いしたい。ただそれは短命政権につながる可能性が高い。日本人の宿命なのかもしれない。
● 石破首相と保守
日本の保守は、似非保守・偽保守だ。世界的には保守とは、自国第一主義なので「反米右翼」となることが多いが、日本の保守は「親米右翼」である。つまり、「日本に不利益があっても、アメリカ様の嫌がることはしてはならぬ」というタブーが永田町や霞ヶ関にはあるということだ。
先の戦争は、アジアを白人の統治から解放するという大義名分を与えながらも、戦後の日本はなぜ、自ら米国制御下に入り、なおかつ媚まで売るのか。この矛盾を説明できない、説明しない、しようともしない。ただひたすら逃げまくるのが、日本の似非保守・偽保守である。石破首相は、この矛盾に立ち向かう数少ない政治家だけに、私は敬意を表したい。




