「民主」と「独裁」の関係、「罵倒」と「打倒」の関係

● 「民主」と「独裁」の関係

 プラトンは、「劇場支配制」という言葉を使って、民主主義は無知で貧しい人々に迎合することで善良な統治を破壊する、見かけ倒しの発明だと指摘し、「大衆が永久不変の政治法則に逆らってあらゆることに口を出す資格を得ることで、公共の利益を気取りながら、力のない者を美辞麗句でそそのかし、力のある者が無法者のように振る舞う統治のあり方」と民主制の本質を見抜いた。

 民主主義の問題を指摘し、批判することは、独裁専制への賛美を意味しない。「民主」と「独裁」の関係は、善悪の対置、二元論ではない。「A or B」でなく、「A and B」であることを示唆してくれた。

 どんなにギリシャ哲学者を持ち出しても、私の論点に違和感を抱く人は大勢いる。学校で教えられ、社会で覚えた常識を根底から覆すものであるからだ。それは単に1つのことを証明した。それは、洗脳教育がいかに成功したかだ。

 プラトンやアリストテレスの「民主」には、敵が存在せず、「民主」も「独裁」も並立する要素項でしかない。意図的な「民主」の絶対善化は、民意をハイジャックして、特権階級の利益を恒久的に維持するための統治戦略である。その特権階級とは、ある意味でトランプが潰そうとしてきた「ディープステート(DS)」である。

 米連邦大陪審は2023年8月1日、トランプを起訴した。2021年の連邦議会占拠事件は、「民主主義への攻撃、民主主義の根幹を揺るがす事件」と規定した以上、それを扇動した罪はいかに重いかを示唆するものである。思うに、トランプはすでに「民主主義」の本質を見抜いている。ただ、まだ口に出して明言できる段階ではないから、ジレンマを抱えていたのではないかと。

● 民主主義下の全体主義

 先日、ある人が私に疑問を示してきた――。「立花さん、あなたは(プロフィールに)自分のことを『反全体主義者』と言っているが、なぜ、中国共産党に賛同するのか?矛盾ではないか?」

 この疑問の前提は、「共産主義=全体主義」だ。しかし、この固定観念を持つこと自体が、「民主主義下の全体主義」を示唆している。全体主義とは、洗脳教育をもって思考の自由(思想の自由ではない)を奪い、自律性を認めず、統制を行う思想・政治体制である。その手法は、民主主義も独裁専制も共通している。

 故に、私は民主主義にも独裁専制にも反対していない。反対しているのは、全体主義である。

● 論点と変節

 私自身は保守基調ではあるが、国益のためなら、左右にこだわらない。保守の中でも、論点といっても、論なき点で、符号となる点のみを追いかけ、同調の安心感や高揚感を売りとする頓馬、アホな論客が多い。いや、アホではない。彼たちはアホ層を相手に商売しているだけだ。花畑は左右に共通している。世の中には左右の差はなく、賢愚の差のみだ。

 私の裏で「立花がここ2-3年で変節し、中国政府からお金をもらって中国寄りの発言をしている」という人(1人や2人だけではない)がいるらしい。本音を言うと、そのお金はもらいたい。だが、多分私の要求する金額が法外であるから、もらえるはずがないだろう。

 実際には私にお金など払う必要は全くない。論理的には中国が勝っているのだから、私のような人間を使ってプロパガンダする予算は不要だ。中国寄りの発言は中国からお金をもらっていると言うなら、米国寄りの発言は米国からお金をもらっていることにもなる。それが論理だ。

 私の論理に反論する方、是非実名で堂々と反論してください。なぜできないのか?論破されるのが怖いのか?これだけで恐るのでは、どうやって中国と戦うのか?だから、負けるのだ。打倒できないから、罵倒する。情け無い負け犬の遠吠えだ。

● 「罵倒中国」と「打倒中国」

 先日、中国出張中に某エリート現地人と対話を持った。最近、中国では反日や侮日の話や動きがずいぶん減ったことについて、こんな回答が返ってきた。「アンチとは、自信のなさやコンプレックスから来ている。その段階はほぼ通り過ぎたのではないか」と。その論理が正しければ、日本人はその反対を行っているように思えて仕方ない。

 思うに、「罵倒中国」ではなく、「打倒中国」のために日本人には以下が必要だ――。

 1. 負けを認め、再起を誓う。
 2. 自省をし、敗因を突き止める。
 3. 臥薪嘗胆で、痛みを分かち合う。
 4. 敵に敬意を払い、敵から学ぶ。
 5. 論理的思考力を身につける。

 しかし、馬鹿な民主主義が浸透する日本では、上記の1つもできそうにない。予想通り、フェイスブックでは、「罵倒中国」よりも力をつけて「打倒中国」という投稿にコメントがきた――。「…それでも、絶対に中国人になりたくない」。私は以下のように回答した。

 「(あなたは)中国人には絶対になれませんし、なる必要もありません。中国人になれと言いましたか?それとも、中国人のように強くなれない?ならば、打倒中国できませんね。永遠に罵倒するしかありません。

 極端な例を挙げると、犯罪心理学を勉強するのは、犯罪者になるためですか?違いますよ。犯罪を制するためです。弱い日本人よ、強くなれ!と言われたら、拒否する。それは、『強=悪』あるいは『弱=善』と誤認しているからでしょう。弱者の自己美化は、日本人の1つのバイアスです。

 『強弱』は、客観的事実判断。
 『善悪』は、主観的価値判断。

 混同したり、すり替えしたりしてはいけない。だから、5点目に『論理的思考力を身につける』と言っている」

● 「反日」がなくなる日

 「反中」やら「反米」やら、「反○」というアンチは、強い者の特権だ。「反墨(メキシコ)」や「反葡(ポルトガル)」あるいは「反比(フィリピン)」、聞いたことがないのは、弱小国は、「反○」に値しないからだ。

 日本人にとって、「反日」が存在する限り、まだ地位のあるうちだと思ったほうがいい。それを通り越して「反日」が消える日のほうが、はるかに恐しい。

 コピー商品も然り。売れる良い商品だから、コピーされる。コピーされなくなったら、ある意味でもう衰退し、終わりに近づいていると見ていい。

● 民意の劣化

 日本はもう民主主義国家ではない。その原因は、民意の劣化にある。と、社会学者の宮台真司氏はこう指摘する(情報ソース)。「与党には対抗軸がない」というのが、非民主主義化の顕著な特徴である。

 なぜかというと、野党が無能だからと一般的にそう言われている。思うに、野党が無能ではなく、有権者が無能だからだ。劣化した民意を忖度する野党も、連れ無能になったわけだ。

 日本の問題を解決するには、既得利益のリセットが必要で、そのために「財政破綻」がもっとも有効だ。だから、破綻を早めることは、日本を助けることにもある。

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