民主主義は普遍的価値観?ルワンダ大統領が提起した問い

 ルワンダ共和国のポール・カガメ大統領が英BBCの記者から「民主主義の価値観」について質問されたときに、こう答えた(主旨訳)――。

 「誰が価値観を定義するのか?世界の一部の国々が価値観を定義し、残りの国々であるわれわれは、正しい価値観を持たずに、価値観を定義する国々から常に勉強しなければならない。最も厄介なことに、われわれがどんなに勉強し続けても永遠に合格できない。永遠に価値観の定義国に追随しなければならない」

 「北半球の先進国たちは、自分が価値観というブランドそのものであり、他の国々は無条件に自分に追随しなければならないとと思い込んでいる。それは大きな間違いだ。われわれは価値観をもっている。ここ、ルワンダそしてアフリカは自分の価値観をもっているのだ。…あなたたちから説教されるのはもう真っ平ごめん」

 米欧が定義する「民主主義価値観」は、普遍的価値観と勝手に定義されている。一人ひとりが違う人間である以上、一人ひとり違った価値観があり、普遍的価値観は存在しないはずだ。たとえば、自由について、それは普遍的価値観だろうか。自由を放棄してその代わりに金銭や保護を受け入れる人もいるわけだから、それはその人の価値観である。

 個人も国家もそれぞれの価値観をもっているところ、自分の価値観を「普遍的」と勝手に規定し、価値観の一本化・標準化作業それ自体が、民主的ではないし、多様性を否定し、価値観をそれぞれ規定する自由を他者から剥奪する独裁ではないだろうか。

 国家レベルでは、国益に代わる普遍的価値観は生まれ得るのだろうか?国益最優先を前提に国家運営するのが万国共通であり、国益を凌駕するいわゆる普遍的価値観は虚構であり、虚構された理想郷を掲げて国益を犠牲にして特定の特権階級や個体の私益を図る輩は、もっとも危険かつ卑劣な存在である。

 日本は米欧規定のいわゆる普遍的価値観を無条件に受け入れ、追随する国だ。日本の政治家らは、カガメ大統領が示した「価値観とは何か?」「誰が価値観を定義するのか?」といったもっとも重要な問いを提起する力や意思すらない。日本は、これだけ危険な国家である。

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