中国の悪魔の道、そしてアリ、キリギリスと渡り鳥

 3月14日付の香港系経済紙「信報」には、「中国で悪魔に変身する道に踏み入れる」と題したコラムが掲載された。その冒頭の一節を訳出する。

 「もし、あなたが中国と協力する必要がなければ、それが最大な幸せだ。さもなければ、我々の周りのほとんどの人たちのように、中国人と関わりをもたざるを得ないだろう。中国に踏み入れると、誠実な人は利用される。単純な人は騙される。勇敢な人は誤った道に導かれる。忍耐強い人はずるずると引き延ばされる。腰の低い人は馬鹿にされる。豪快な人は離間される。貪欲貪る人は買収される。遊び好きな人は賊船に乗せられる。・・・」

 私から付け加えると、「したたかな人は尊敬される」と。中国に来て、悪魔になりたくない人はせいぜいしたたかでたくましい人になれ!が、したたかになるために、徹底的な性悪説と防衛策に徹していなければならない。多大な労力と気力が要る。長くこの姿勢を固めていたら、疲労する。私自身も恐らくその一人ではないかと思う。

 そして、さらに付け加えると、「したたかになろうと疲れた人は中国を離れる」。自分をあてはめると、ぴったりだ。

 私自身はコンサルタントの職柄で、自称だが、性悪説的なほうではないかと思っていたが、とんでもない。もっともっと性悪説的な人間が中国中にうようよしている。最近、コンサル現場では戦略調整して、従来の性悪説から性善説にアプローチを変えようと試みたが、それはそれは凄い。性善説になればなるほど、如何に現場が性悪説で固まっているのかが対照的に浮かび上がったのである(具体的な話は、顧客企業の秘密なので、ここでは書けないが)。

 疲れがどっと出た。来年からは、中国業務を半減させるなか、居を中国から転出する。それだけでも、少しは精神的な安定とリフレッシュが得られるだろう。

 最後、補足すると、私は決して中国人が悪魔だとは思っていない。歴史的な原因、そして制度と教育が悪の芽生えを助長する、このような土壌を作ってしまったのだと思う。人間の誰もが善と悪の両面を持ち合わせている。善の一面を引き出すか、悪の一面を引き出すかは、外在要素(環境や制度)と内在要素(自身の素養、倫理観、受けた教育の影響)の二つで決まる。この大国は、残念ながらいろんな意味で先天的に恵まれているとはいえない。多くの中国人が被害者になっているのだ。

 イギリスだったのか、忘れたが、こういう言い伝えがある――「一人の金持ちを一夜にして生み出すことができるが、一人の貴族を育てるには百年はかかる」

 経済成長の我が春や盛夏を謳歌する中国には、百年の孤独に耐えられるまい。そして、一葉知秋、冬が忍び寄る。越冬に備えて、勤勉なアリになるか、怠惰なキリギリスになるか、あっ、それとも第三の選択肢、渡り鳥になって越冬をやめるか。

 南国が眩しい。渡り鳥は飛び立つ。