AIと敗北の平等(日本篇)――新たな格差構造の輪郭

<前回>

● 「弱者横並び」の崩壊と新種格差の誕生

 ある意味で、日本人はAIとの親和性が高い民族である。なぜならば、AIの前では誰もが等しく知的弱者(愚)となり、そこに一律の平等感が生まれるからである。日本社会が長く好んできた「横並びの安心」は、AIによって最も自然な形で実現される。AIは誰をも区別せず、エリートも凡人も、博士も労働者も、その知性の前で同じ沈黙を強いられる。この意味において、AIは日本人の平等志向と見事に共鳴している。

 しかし、そのリセットは長くは続かない。AIという新しい道具を自在に使いこなす者が、やがて静かに上昇し始める。同時に、そうでない大多数は、再び沈殿していく。こうして旧来の学歴や地位に代わる新しい格差構造が立ち上がる。それは資本や知識の格差ではなく、思考と適応の格差である。AI時代の競争とは、情報の獲得ではなく、意味の創出競争へと移行する。AIを思考の代替者として使う者は操作者にとどまり、思考の拡張器官として用いる者が、次の時代の創造者となる。

 もっとも、資本の格差は依然として存続する。AIは知的階層を再編成するが、資産階層を一掃するわけではない。人口の2~3%を占める富裕層は、AIによる資産の浸食がない限り、基本的にそのまま生き延びる。

 その一部は、AI社会の追い風を巧みに利用して、さらなる資産増を実現するだろう。問題は、中産階級だった層の激変である。彼らは資産を持たず、労働に依存して生きてきた。だがAIの台頭によって、労働市場の多くが自動化・最適化され、「労働権」を失う層が激増する。安定した職と収入を前提とする社会構造は崩壊し、いわば「失職による平等化」が進むのである。

 ただし、日本社会は、雇用を守るという大義名分のもと、AIの導入に最後の最後まで抵抗を続けるだろう。人を減らさずにシステムを変えることはできず、システムを変えなければ生産性も上がらない。

 その結果、世界のAI化の波に取り残され、経済も組織も、静かに地盤沈下していく。AIを拒むことは、一時の安心を守るかわりに、長期的な衰退を選ぶことである。しかも、その衰退は「誰の責任でもない」ため、誰も罪悪感を抱かない。平等を重んじてきた社会ほど、この構造は深く静かに進行する。なぜなら、日本の「平等」は分配の平等であり、AIがもたらす「機会の平等」とは根本的に異なるからである。

● 文化的DNAに刻まれた宿命

 さらに、AIとの協働、すなわちAIを駆使した資本創造は、ただひたすら一点にかかっている。それは「問い方」である。AIに対して、何を問うか、どう問うか、その深度と構造こそが、人間の知性の新しい尺度となる。だが、日本人ほど「問い方」が下手な民族も少ない。教育は「答え方」を訓練してきたが、「問い方」を鍛えてこなかった。

 この欠落は、AI社会において致命的である。AI時代の日本人は、もはや知識不足ではなく、問い不足に苦しむだろう。これは社会的な欠陥ではなく、文化的DNAに刻まれた宿命である。AIは日本人の「沈黙の美徳」を照らし出し、それを「思考の欠如」として暴く。日本社会の悲惨さは、AIによって露呈するのではなく、AIによって増幅されるのである。

 そして最後に、ここにもう一つの皮肉が加わる。日本人の「問い方の下手さ」こそが、新たな市場を生み出す。問えない人々が多数派となる社会では、当然のように「答えを売る」AIサービスが台頭する。需要があれば供給が生まれる。思考を放棄した民衆に、用意された答えを与える産業が成立するのは、歴史の必然である。

 こうして「プロパガンダの需要」がAIによって精緻に最適化され、思考を委ねた奴隷層が定着していく。AIは人間を解放する道具ではなく、人間の惰性を永続させる鏡となる。やがて、日本の停滞は、全員が選んだ安定という名の沈黙に変わる。全員が少しずつ沈みながら、平等に沈むことに安堵を覚える。それは、痛々しいほど美しい国のかたちである。

タグ: