夕食は、同じ団地に住む北欧出身のMさん手作りのチリコンカンを購入。ホームメイドクッキングだけに、偽りなき自然食に近い美味。豪州産の赤にはぴったり。
私が住んでいる団地の住民同士は、フェイスブック上でグループを作って、情報交換や売買取引を行っている。ゴルフコースの何番ホール付近に蛇が出たというようなアラート情報の共有から、ペットゲージや中古車の売買取引まで、幅広く共同体の営みが微笑ましく行われている。
食べ物に関しても、本格的なカフェ運営から個人ベースの単品出品、ないし宴会料理ケータリングまで豊富に取り揃えている。このような共同体取引は、悪質なものが極めて少ない。ほとんどないと思ってもいい。なぜなら、相手や客が全員住民でグループに参加しているので、少しでも問題を起こしたらたちまち悪評が広がり、村八分を食らってしまうからだ。
コロナの長期化によって、マレーシアは個人営業の全盛期を迎えようとしている。Person-to-Personという意味で個人対個人の「P2P」は、サプライチェーンの短縮と取引コストの削減につながり、アンチ企業化というか、前近代に向けて産業構造の逆戻り現象が起きつつある。第三次産業の集約(絶対量の減少)が進んでいるように思える。
そうした大変革のなか、滅びるものもあれば、変容するものも、新たに生まれるものもある。コロナを「禍」と捉えるか、「福」と捉えるか。危機を「危」と捉えるか、「機」と捉えるか。人それぞれ違う。その結果、社会的格差が拡大する方向に流れることはほぼ間違いない。
私の回りにコロナに関係なくビジネス絶好調の人も結構いる。コロナが何年も長引いた場合、衰退分野と成長分野を見分け、時勢の上昇気流に乗れば、第二終戦の飛躍を手にすることも夢ではない。死屍累々のサバンナ、ハゲタカがグルグル頭上を飛んでいる。生存競争には善も悪もない。
個人は、企業や国に対する依存を希薄化させ、デカップリングしていく。これが幸せになるための唯一の方法。