小さな夢と大きな贅沢、そして人間の助け方

 私も妻もブランド品や贅沢品、いわゆる記号的な消費を好まない。

 唯一のブランド品といえば、自宅のメルセデスベンツの車。それはある酷い交通事故の中で頑丈なベンツが命を助けてくれた恩返しとして買ったのだ。買い換えるつもりもない。30年は使いたい。

 スマホもメインだけやっとiPhone4SからiPhone7にアップグレード。サブの2台は相変わらず4S。ものは壊れるまで使う。食事はここ8年、ほぼ全てB級。服は年間出費2000円、Tシャツ数枚新調するだけ。時計やバックは10年以上買っていない。名刺入れはボロボロになって買おうかと思った矢先、コロナで買う必要がなくなった。

 飛行機は体が大きいので、ビジネスクラスを使ってきたが、コロナで出張が消えたので、その出費も要らなくなった。最後に少々贅沢な一軒家に住んでいるが、実は地方や農村に移りたく今は画策中だ。

 浮いた金で自分の動物救済基金を作りたいのが小さな夢だ。世の中、助けを必要としているのは人間ではなく、人間の犠牲になった動物たちだ。動物を助けるほどの贅沢は、世の中に他にはない。

 なぜ、人間を助けないのか。人間は、1、本物の弱者かどうかわからない。2、一時助かっても一生助けられまい。3、安易に助けるとその人の自助機会を奪ってしまう。

 私は人間を助けない訳ではない。魚を与えるのではなく、漁を教える。私は日々人を助けている。悪しき世の良き生き方をできるだけ共有している。

 人に1万円を与えるよりも、その人が自ら100万円を稼げるようになってもらった方が良くないか?それでも助からない人は残念だ。自然選択の個体淘汰種の進化につながる。

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