お金大好き、機会利益を手に入れられるから

 大方の日本人はあまりお金の話を口にしない。お金をよくない(汚い)ものとして、お金や富に嫌悪感を抱き、貧しい生活を自ら選んだという人もいる。この貧乏グループには、2種類の人がある。少数の本物金嫌い以外に、ほとんどが酸っぱい葡萄心理の人たちだ。

 キツネが、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけると、跳び上がって取ろうとする。しかし、高所にある葡萄には届かない。何度跳んでも届かない。キツネは「どうせ葡萄なんか酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去る。

 批判するわけではない。誰もが酸っぱい葡萄心理を持ち得るからだ。ただ、酸っぱいか甘いかという味覚次元を超え、倫理的善悪判断となれば、別の問題が生まれる。

 私個人的に、お金に病的な執着をもたないが、嫌いではない。いや、どちらかというと、お金が好きだ。なぜかというと、お金があれば、選択肢が広がっていろんなことができるからだ。そう、選択肢。だから、正当にもらえるお金を放棄するのは、自ら選択肢を放棄することだ。もったいない。

 お金が社会に貢献する資本だから、一生懸命稼ぎ、そして一生懸命有意義な使い道を考えて実践するのが生き甲斐だと思う。

 お金の1つの大きな効用は、時間を買うことだ。時間は買えるのか、答えはイエスだ。物理的な時間は買えないが、機会利益を手に入れることができる。

 「機会損失」という言葉が存在しても、その反対概念の「機会利益」はほとんど聞かない。本来ならば、Aという仕事(事)をしなければならなかったが、Aを提供するサービスを金で買い、その時間を使ってより大きな価値を創出できるBの仕事につく。つまり価値創出の機会(時間)をお金で買うことだ。

 たとえば、雑務や家事が多くて読書の時間が取れない人は、お金を払って、雑務を代行業者に外注し、家事を家政婦に任せれば、読書や思考に耽る時間を手に入れる。その知的活動から別種の大きな価値を生み出す機会を手に入れる。これが私の造語「機会利益」にあたり、機会(時間)を買うことだ。

 お金そのものは単なる価値交換用の記号にすぎない。お金を使って良いこともできれば悪いこともできる。あるいはお金そのものを浪費することもできる。

 人間がお金を使うわけだから、お金に使われてはいけない。つまり、お金の奴隷になってはいけない、お金の主人になることだ。

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